ファーミッド王国の王都メダリアンを出発してから約四日が経過した。

「……お。見えて来たな」

 揺れる馬車からちらりと外を見たシルフが呟く。

 その声に転寝していたアレンは目を開けた。

「シルフ……? 何が見えたの?」

「ああ、このファーミッドとベリタリューテの国境だ」

「国境……」

 眠い目を擦り、そっと外を覗くと、アレンははっと目を見開いた。

 限りなく続く巨大な壁が往く手に立ち塞がっているのを見たのだ。

 高さは三十メートル近くあるだろうか。

 壁の左右両端は遥か遠く、視認することは出来ない。

 思わぬ圧巻の光景に、アレンは隣でうとうとしていたジークの肩をバンバンと叩く。

「い、痛い……痛いってアレン……」

「ジーク、見て見て! 凄いんだよ!」

「何が……」

 アレンに促されるまま外を見たジークもまた、同じように目を見開く。

「何だありゃ……!?」

「国境だって!」

「国境!?」

「ああ、国境だ」

 はしゃぐ2人に、シルフは得意げに話しだす。

「この壁ができたのはもう五百年も前の話だ。幼馴染であったファーミッドの五代目国王とベリタリューテの八代目女王が子供時代に大喧嘩してな。この壁の建設を強行したらしい」

「け、喧嘩でこんな壁作るのかよ……!? 王族ってスケールでかいな!」

「まあ、途中で2人は仲直りして建設は中止に終わる筈だった」

「? でも、壁は完成してるよね?」

「ああ、それは……」

 もったいぶるように言葉を切るシルフ。

 不思議そうに振り返るアレンと目が合うと、ふっと笑って見せる。

「それはな、アレン。お前の先祖のとある勇者が関係している」

「勇者が……?」

 アレンが不思議そうに言うと、肯定するように頷く。

「十三代目の勇者『ライダス』が両国の王に進言したんだよ。「魔物が国を渡らないようにする為、壁を完成させた方が良い」とね」

「どうして?」

 首を傾げるアレンの隣でジークは顎に手を当てていた。

「……もしかして、魔物が国同士のトラブルのもとになるとかか? ほら、お前の国から来た魔物が悪さをしたから弁償しろ! ……みたいな」

「御名答。流石、頭の回転がいいな小僧」

「小僧って呼ぶな!」

 シルフの言葉に思わず噛みつくジーク。

 アレンはそっと眠っているカノンが起きないようにその耳を塞いだ。

「まあ、兎にも角にもその通りだ。魔物の往来による国同士の不要な争いを起こさない為、壁の建設は続行された。この壁は二つの国を隔てるためのものではなく、友情を繋げるためのものなのさ」

 因みに、ファーミッドとベリタリューテだけでなく全世界の国が国境に結界などを張ってそれぞれの国交を守っているとシルフは付け足す。

 小さな田舎村に居たアレンとジークにとってそれは初めての知識で、食い入るように聞いているうちに壁の手前まで辿り着いていた。

 壁を潜るに設置された関所の中に、馬車は進み入る。

 中で停車すると、砦に駐在していた兵士が全員降りるように指示した。

「カノン、起きて……」

「ん……ぅ?」

 アレンはカノンを怒らせないように優しく声を掛けながら、寝惚けてふらふらなその手を引く。

 馬車から降りて周りを見回してみると、馬車の鼻の先に白い半透明の壁のようなものが見えた。

「……? あれ、強い魔力を感じます」

 目を擦りながら呟くカノン。

 それに「その通りだ」とシルフが声を掛ける。

「そこにあるのは魔法で作られた結界だ。これを抜けるために出国許可証が必要になる」

 そんな会話を傍目に、兵士たちが乗客リストと人数が合致しているか確認を取る。

 契約精霊たちも確認の対象だ。

 人数が合えば、今度は全員に出国許可証の提示を求める。

「馬車に乗る時も見たのにまた確認するのか?」

 不思議そうに手の甲を差し出しながらジークは首を傾げる。

 その手を、他の兵とは違う白い鎧を着た青年がそっと取った。

「国を出るのは初めてかい? 実は、これもとても大切なものなんだ」

 そう言って刻まれた出国許可証の上に指を滑らせるとその中央にまた違う紋章が刻み込まれる。

「……これは?」

「入国許可証さ。その二つが揃わないとこの結界に弾かれて通れない。ね、大切なものだろう?」

 隣に居るシルフの手の甲に入国許可証を刻みながら、青年はふっと笑う。

 へえ、とジークはその紋章をまじまじと見つめていた。

 全員の入国許可証の刻印が終わると、馬車に乗り込みいよいよ出発だ。

 結界を抜けると、紋章は役目を果たし光の粒となって消えていく。

 砦の門を抜けるとそこは、温もりと色彩に愛された国『ベリタリューテ王国』だった。

 

 ――その頃。

「見ぃーつけたっ♪」

 やけに艶っぽい声で呟く1人の女。

 唇に触れていた指を首から胸元に滑らせ、そっと豊満な胸に埋まったピンク色の宝石に触れる。

 ジュビリアムの街でエンヴィーと話をしていた女だ。

 人の力では登れるはずの無い国境の高い壁の上に腰を掛け、アレン達の乗った馬車を見つめている。

「アルールに行くのかしら? フフ、あそこは私も大好きな街なの。さあ、いらっしゃい」

 宝石と同じピンク色の瞳を細め、そこからピョンと飛び降りた。

 

 

 

「アレン。おい、アレン」

 ジークの声で目を覚ますアレン。

 どうやら馬車に揺られているうちに、いつの間にか眠っていたようだ。

「んん……ジーク?」

「おう、俺だ。着いたぞ」

 そう言うとジークは寝惚けるアレンの手を引いた。

 ジークに手を引かれ、やや危なげな足取りで馬車を降りると、ほんのりと甘い香りが鼻を擽る。

 顔を上げると、眩しいほどに色鮮やかな花々が目に飛び込んできた。

 町娘が、元気良く言う。

「ようこそ、花の都アルールへ!」

 アルールの町は、穏やかな気候に恵まれ年中花で包まれている。

 その美しさから観光地として人気があり、栄えている。

 また、アルールの町で告白すると永遠に結ばれる等の伝説がある、カップルに人気の町だったりもする。

 それも、花々が咲き乱れ、いつでも美しい風景が広がっている事からだろう。

 そんな華やかな町に、三人は繰り出す。

「わあ、すごーい! 可愛い、綺麗!」

「本当だな。花の都と言われるだけある」

 町を見回すジークとカノン。

 寝惚けていたアレンだったが、その華やかさに目が覚めるのも早かった。

 美しい景色に溜息が漏れる。

「アルール……久しいな」

 シルフも姿を現し呟く。

「シルフは、来た事あるの?」

 アレンが尋ねるとシルフは頷いた。

「もう数十年前だがな。娘がここに住んでいる筈なんだ」

 その言葉に、三人は目を丸くする。

「お前、娘が居たのか……!?」

「ああ、まあ……。数十人程な。その中の一人がここに住んでいる」

「数十……!?」

 ジークの顔が引き攣る。

 アレンとカノンもぽかんとしている。

 ただ、シルフだけは何故驚かれるのかと首を傾げていた。

「取り敢えず、我は娘に挨拶して来ようと思う。お前達はどうする?」

 気を取り直し、シルフが言うと元気良くカノンが手を上げた。

「はーい、私は観光がしたいでーす!」

 それを聞くとシルフはフッと笑い三人に背を向ける。

「ならば別行動だ。夕方になったらこの町の西にある『フーカの宿』に来い。先に部屋は取っておこう」

 そう言うと手を振り、ふわりと風を纏い姿を消してしまった。

「意外と気が利くじゃない! じゃあ私達は観光にレッツゴーですよ!」

 それを見送ると、待ちきれないと言わんばかりにカノンは二人の背中を押す。

 二人はカノンにされるがままに町中に歩き出した。

 町は華やかな恋人たちで賑わっていた。

 老いも若きも、皆それぞれ大切な者と手を取り合い、笑い合っている。

 店もそんなカップルを狙いにしたものが多く、ペアルックのアクセサリーや縁結びのアイテムが多く取り揃えられていた。

 また、この町で恋を探す者も多いようだ。

 出会いを目的とした酒場等も見受けられる。

 そんな恋の色で溢れる町を、カノンはキラキラとした瞳で見つめている。

 アレンも純粋に楽しんでいるようようだが、ジークだけは少し居辛そうにしていた。

 ……あれ、これもしかして?

 そんなアレンとジークの様子を見たカノンは突然思いつく。

 こんな町でなら、お兄ちゃんと勇者様の距離も縮まるんじゃないかしら?

 勇者様も楽しそうだし、お兄ちゃんもなんだか勇者様を意識している気がするわ……

 そうと決まれば早かった。

 クルリと二人を振り返る。

 突然振り返ったカノンに二人は少し驚き、足を止める。

「どうしたの、カノン?」

「勇者様、お兄ちゃん。私ちょっと行きたい所があるから別行動して良い?」

「え?」

 急な申し出に、はいともいいえとも言えない二人。

 待ち合わせ場所は決まってるし大丈夫だろうが、町中とは言え一人にするのは危ないかもしれないし……

「ありがとう、じゃあ行ってきます!」

 そう考えた頃には、カノンは元気よく駆け出していた。

「あ、おい! カノン!!」

 ジークが慌てて止めようとしたが、小さな背中は人ごみに紛れてあっと言う間に消えてしまう。

 残された二人は立ち尽くすしかなかった。

「……まあ、カノンなら、大丈夫だろ」

 ジークが溜息を吐き頭を掻く。

 アレンもその言葉に苦笑しつつ頷いた。

「取り敢えず、町の中歩いてみようぜ。良い店とか見つかるかも知れないし」

「うん、そうだね」

 ジークの提案にアレンも合意する。

 じゃあ行こうぜと二人並んで歩き出した。

 

「あらあら、女の子の方は居なくなっちゃったのね」

 そんな2人を背後から見つめる一人の女性。

「まあ、今日は男の子の気分だし……まずは、あの銀髪の子から頂いちゃいましょうかね。フフ……」

 

 女性はジークの後姿を、妖しく笑いながら見つめていた。

 

「あ、ジーク! 見てよ、この花綺麗じゃない?」

「ん? 本当だ、綺麗だな」

 二人で行動するアレンとジークは、戦いや使命の事を忘れて町の観光を楽しんでいた。

 町中に咲き誇る花を愛で、初めての文化に触れ。

 魔王を倒す旅の途中だなんて思わせない程、二人の心は穏やかだった。

 それもそうだろう、花の香りは人の心を落ち着かせる効果がある。

 知らず知らずのうちに、二人の心も花の香りで和らいでいた。

 もしかすると、この町が恋や愛で溢れているのはこの花の香りのお陰なのかも知れない。

「ねえ、ジーク。ジークはさ、好きな人居るの?」

 楽しげに話すカップルを見て、アレンはジークに訊く。

 突然の問いに、ジークは驚いて飲んでいたジュースを吹き出してしまった。

 予想外のジークのリアクションに、アレンも驚き目を丸くする。

「じ、ジーク? 大丈夫?」

「ケホッ、ケホゴホッ……!」

 咽ながらも大丈夫と言うように手振りするジーク。

 暫くして落ち着くと、口元を拭いながら顔を上げた。

「いや、あの、さ……突然どうしたんだ?」

 ジークが尋ねると、アレンは苦笑しながら話す。

「もし居たならさ、申し訳ないなと思って。その人と一緒に居たいだろうに、僕なんかの為に着いて来てもらってさ」

 その言葉を聞き、ジークは思わず息を呑んだ。

 自分が想っている相手は目の前に居る。

 なのに、一緒に居られているのに、相手は申し訳なさを覚えている。

 当たり前だけれど、自分の想いは届いていないし、相手は分かっていない。

 それが、どうしようもなく寂しかった。

「……居ねえよ」

 溜息を吐き、ジークは静かに答える。

「そう……?」

「ああ。だから変な心配すんな、俺はお前に着いて来て良かったと思ってるよ」

 眉を下げるアレンの頭をクシャクシャと撫でて笑うと、アレンもつられるように笑顔になった。

「……ありがと、ジーク」

「ん、どう致しまして」

 胸の内に不思議な温かさと擽ったさを感じながら、二人はまた歩き出す。

「うーん、惜しい……けど、何だか良い雰囲気だし……」

 歩き出した二人を後ろからつけているのは、先程別れた筈のカノンだった。

 2人の様子が気になり、こっそり着いてきたのだ。

「さっきの質問の時に言っちゃえば良かったのに……ん?」

 物陰から覗きながら溜息を吐いた時、カノンは町を歩く一人の女性に注意を引かれた。

 美しい顔立ちをした女性なのだが、何処か妙なのだ。

 何か違和感を感じる。

 しかし、その違和感の正体にカノンは気付けない。

 少し変わった女性なのだろう、そう思いすぐ目を離してしまった。

 カノンは気付いていないが、その女性もアレンとジークを追っていた。

 違和感を感じたのは、意識せずともずっと視界に女性が入っていたから。

 女性は少しずつ二人との距離を詰めていく。

「あ、ごめんジーク。ちょっと待ってくれる?」

「ああ、分かった」

 アレンがジークから離れ店に入る。

 すると、女性は一気に距離を詰め、ジークに話し掛けた。

「こんにちは、お兄さん♡」

「ん……?」

 女性の声に、ジークは振り返る。

 カノンもジークに声を掛けた女性を見て違和感の正体に気付いた。

「あの人……ずっと着いて来ていたのね。逆ナンパ目当てかしら」

 眉間に皺を寄せるが、隠れて様子を伺う。

 そんな事も知らず、ジークと女性は会話を続ける。

「お1人かしら? 私、今フリーなんだけど良ければ一緒にお茶しない?」

「いや、連れが居るから遠慮する。悪いな」

「もう、つれないお兄さんね」

 女性は困ったように笑う。

 勇者様一筋のお兄ちゃんが、そう簡単につられる訳ないわよ……。

 内心でそうつぶやき、カノンは溜息を吐く。

 しかし、次の瞬間には思わず息を呑むことになる。

「どうしても、ダメかしら?」

 そう言った女性の瞳が怪しく輝いた。

 それだけじゃない、カノンは何処か記憶のある力を感じたのだ。

 これは、闇の魔力……!

 そう、ジュビリアムの街でジークを襲った闇魔法。

 その魔力を感じ取ったのだ。

 という事は、あの女性は魔物だわ!

「お兄ちゃん!」

 兄の身に危険を感じ、カノンは叫んだ。

「え、カノン?」

「あら、お連れさん?」

 ジークは目を丸くする。

 女性もただ驚いた表情をするだけだ。

 カノンはずんずんと歩み寄る。

「貴女、今闇魔法を使ったでしょう?」

「あら、何の事?」

 カノンの問い掛けに、女性は首を傾げる。

「嘘つかないで、私見たんだから!」

 必死なカノンに対し、女性は余裕ありげに微笑む。

「そんな証拠何処にもないでしょ、お嬢ちゃん? 私は魔法なんて使っていないわ。ね?」

 女性はそう言ってジークにウインクする。

 ジークは困り果てる。

 自分には魔力なんて感じられないから分からないし、カノンを疑いたくはない。

 闇魔法を使ったなら自分に影響ある筈なのに、自分には何も起きていない。

「……えっと、勘違いじゃないか?」

 悩みに悩んだ結果、自分で結論付けて言うジーク。

 カノンはそれに不満気だが、女性は当然とでも言いたげな澄まし顔だ。

「あんまり人を疑うのは良くないわよ、お嬢ちゃん」

 そう言うとカノンの額を指で突つき、女性は去って行く。

 カノンは女性が見えなくなるまでその背中を睨みつけていた。

「お待たせジーク……って、あれ? カノン、戻ってたの?」

 そんなジークとカノンの元にアレンが帰って来る。

「ああ、お帰り」

「うん。……何かあったの?」

 不機嫌なカノンの様子を見て、アレンは首を傾げる。

「この町に、人の形をした魔物が居ます」

 難しい顔をしたまま、カノンは静かに告げる。

 けれど、ジークは半信半疑だ。

「でもなカノン、あの女はただ声を掛けて来ただけで、俺は何もされてないし」

「お兄ちゃんは気付いていないだけ! あの人、絶対闇魔法を使ってた!」

 状況が呑み込めないアレンはカノンの強い声に気圧される事しか出来ない。

 それに気付き、ジークが庇うように言う。

「カノン、ちょっと落ち着け。アレンが驚いてる」

 そう言われてカノンもハッとする。

 本当の事を言っているのに信じてもらえない歯痒さと、わざとではないがアレンを怖がらせた申し訳なさで唇を噛む。

「……ごめんなさい」

「いや、僕は大丈夫だよ。それより、本当に魔物が居たのかい?」

 頭を下げるカノンの肩に優しく手を置き、アレンはカノンに問う。

 それにカノンは力強く頷く。

「はい、確かです。勇者様がお店に入った後、お兄ちゃんに女の人の姿をした魔物が……」

 カノンの話を聞きながら、ジークは頭を掻く。

「でも、俺は声を掛けられただけで何もされてないんだよ。前に闇魔法に掛かった時みたいに、アレンやカノンに嫌な感情抱いてるわけでもないし……」

 カノンとジーク、それぞれの言葉を聞きアレンは顎に手を当てる。

 確かに不思議なものだ。

 そこまで接近して、攻撃しなかったなんて。

 けれど、用心するに越した事は無いだろう。

 これがアレンの結論だった。

「どちらにしろ、警戒はしておこう。ちょっと気が緩み過ぎていたところもあるしね」

 アレンの言葉に兄妹は頷く。

「それが良いと思います。ね、お兄ちゃん?」

「ああ、まあ……もしもの事には備えておきたいからな」

「決まりだね。ここからは三人で行動しよう。まだまだ見たい所、あるだろう?」

 アレンの言葉にカノンは元気良く首を縦に振った。

 アレンとジークを二人きりに出来なくなったのは惜しいが、危険なら仕方ない。

 それに、自分だってまだ町を回り切っていない。

 見て回れるなら、願ったり叶ったりだ。

「賛成です、実は気になるお店あったんですよ! 行きましょう!」

 二人の背を押して、カノンは歩き出す。

 それに少し驚くも、笑って二人も歩き出した。

 

 ――それからちょっと後。

「あーあ、まさかあんなに魔力に敏感だなんて……」

 そこから少し離れたバー。

 そこで女性はカクテルを飲みながら溜息を吐いた。

「何をバカやってるの?」

 そこに違う女性の声が掛かる。

 見上げると、そこにはエンヴィーが立っていた。

「あんな回りくどい事しなくてもアンタの力なら倒せそうなのに」

 エンヴィーは女性の隣に座り、同じものをと注文する。

「いやあ、やっぱりあんな可愛い子が居たら欲しくなっちゃうじゃない?」

「失敗したけどね」

 笑顔で話す女性に、エンヴィーは冷たく返す。

「どうせ体目的の癖に」

「正解。寧ろそれ以外に興味は無いわ。遊んだら殺すつもりだったわよ」

 エンヴィーの分のカクテルがバーテンダーから渡される。

 エンヴィーはありがとう、と受け取りそれに口付ける。

「でも、どうして失敗したのよ?」

「ああ。あの子、心の底から好きな子が居るみたいね。私の魔法は、本気で恋をして、心から誰かを愛している者には通用しない」

 語りながら、自らの胸元に身に着けた宝石を指でなぞる女性。

 そうは言うが、心から誰かを愛するなんて、本当は簡単な事じゃない。

 愛人が居ても、少しでも心に隙があれば、この魔法は成功する筈だった。

 カラン、と氷が音を立てて溶ける。

「だから、あの男の子は無理ね。私のものにはなってくれそうにないわ」

「……そう、残念ね」

 目を背けまた一口、カクテルの飲み込むエンヴィー。

 興味が無いとでも言いたいのか、それとも。

 女性はそんなエンヴィーを見て意味ありげにクスリと笑う。

「まあ、あの子は諦めるわ。そうね……男の子の気分だから、次は勇者を狙ってみようかしら」

 女性はグラスを傾け一気にカクテルを飲み干す。

「あら、あの小娘は良いの?」

「言ったでしょ、今は男の子が良いの。それに、勇者本人を手に入れてしまえば魔王様もさぞお喜びになるでしょう? 私のものになる=討ち取ったみたいなものなんだし」

 その言葉を聞き、エンヴィーはフッと口角を上げる。

「好きにすれば良いわ。せいぜい頑張る事ね、魔王直属七天皇『色欲のラスト』さん」

 コトッ、とグラスを置くと女性――ラストは立ち上がる。

「はいはい、ラストさん頑張りまーすっ♡」

 茶目っ気を出して言うと、カクテル2杯分の金を置いて去って行った。

 

 

 

 ――暫く歩き、3人で町の中心部までやって来る。

 中心部には店やバーの他にも、様々な娯楽施設があった。

 演劇やオペラを鑑賞出来る劇場。

 噴水があり恋人達が行き交う広場。

 ギャンブルが楽しめるカジノ。

 どれも、華やかなものばかりだ。

 待ち合わせの時間のもあり、全て回って遊ぶのは正直なところ難しい。

 なので相談の上、3人は1つ劇場へと足を踏み入れた。

 劇場を推したのはカノンだった。

 今公演されている演目が「白雪姫」だったのだ。

 小さな頃、母親に絵本の読み聞かせてもらって大好きになったお話。

 もうこんなに大きくなってしまったけれど、その名を聞けば胸が躍る。

 ……というのも、まあそうなのだが、実際はやっぱり兄ジークとアレンの距離を詰めるのが狙いだ。

 2人でデートをさせる事が出来ない今、これが1番の策だと思ったのだ。

 だってキスシーンですよキスシーン!

 初心なお兄ちゃんならきっと意識してくれる筈!

 勇者様だってホントは女の子だもの、きっとキュンキュンしてくれる筈よ!

 そしていい雰囲気になって、一気に心の距離も急接近しちゃったりして!!

 そんな賑やかな内心はひた隠し、2人を劇場に押し込んだ。

 劇場はシャンデリアが飾られ、真っ赤な絨毯が敷かれ絢爛豪華な内装だ。

 田舎暮らしで煌びやかな雰囲気に慣れない3人は、やや緊張気味にチケットを買い、観客席へと入る。

 ジークを中心に、左にカノン、右にアレン。

 暫く待つと開演のブザーが鳴り、幕が上がる。

 誰もが知っている筈のお伽噺。

 けれど、様々な魔法や技術を駆使して演出を施し、厳しい訓練を受けた役者たちの演技によって構成される舞台は、新鮮な魅力があった。

 1つ1つの声、動きが観客を惹きつけて。

 そして、ラストのキスシーン。

 カノンがチラリと横を見ると、ジークが息を呑んだのが分かった。

 やっぱりお兄ちゃんは初心だなぁ。

 なんて思いながらアレンの方に目を向ける。

 アレンの方も真剣に舞台を見入っていた。

 表情は読み取れなかったが、きっと感動しているのだろう。

 そこで手の1つも繋がないかと期待してみるが、どうもそうはいかないらしい。

 少し歯痒く思っているところで、幕は下りた。

 客席が明るくなり、人々は立ち上がり出口へ向かう。

「なかなか凄かったな」

 感嘆の言葉を吐きながら、ジークは立ち上がる。

「うん、そうだね、面白かった!」

 それに返しながらカノンも立ち上がった。

 アレンも立ち上がろうとした、その時。

「ハァ~、素敵だったわ。貴方もそう思わない?」

 アレンの右側、つまりはジークとは反対隣に座っていた女性に声を掛けられる。

「? ええ、素敵でしたね」

 驚きつつも、アレンはその女性の言葉に同調する。

 女性はそれを聞き、満足そうに口角を上げた。

「貴方となら、良い話が出来そう。ねえ、少しご一緒できないかしら?」

 その瞬間、女性の目が怪しく光った。

 兄と話していたカノンが振り返る。

 感じたのだ、闇の魔力を。

 見ると、先程の女性が居るじゃないか。

「貴女、さっきの!」

 思わず声を上げる。

 それを聞いてジークも女性の方を見やる。

「えっ、どうかしたの?」

 カノンの声を聞き、アレンが振り返る。

 アレンが振り返ったのを見て、女性――ラストの顔が引き攣った。

「嘘でしょ、どうして魔法が掛からないの……!?」

 ラストが狼狽えている間に、ジークがアレンの腕を引く。

 カノンも臨戦態勢だ。ラストが何か起こそうものならいつでも動ける。

 それを見てラストは一歩後ずさる。

「おい、お前は何者だ。何が目的だ」

 ジークが低い声で脅すように言う。

「……ごきげんよう!」

 そのジークの声に気圧されるようにラストは踵を返し駆け出した。

「逃げた!」

「おい、待て!」

 ジークとカノンが慌てて追い駆ける。

 しかし、劇場を出るとその姿は忽然と消えてしまった。

「アレンにも声を掛けて来たとなると、カノンが言った事は間違いないみたいだな……」

「だから言ったじゃん、もう!」

 辺りを見回すジークとカノンに、やっとアレンが追い着く。

「ふ、2人とも、待ってよ……」

「あ、アレン……」

「ご、ごめんなさい勇者様」

 やや疲れたその様子に、兄妹は思わず申し訳なさそうに苦笑する。

 アレンも、少し息を整え気を持ち直す。

「カノン、さっきのが?」

「はい、お兄ちゃんに魔法を掛けようとした人です。闇の魔力を感じ……あれ?」

 そこまで言い掛けて、カノンは何か違和感に気付く。

 さっき、女性に気付いたのは闇の魔力を感じたから。

 その魔法の標的は……アレンだった筈だ。

 つまり……今アレンは闇魔法に掛かっているのでは?

 ジークも気付いたらしい、慌ててアレンの肩をガッと掴む。

「アレン、大丈夫か!? 何か、変な感じしないか!?」

「へ?」

 カノンも慌てた様子でアレンの顔を覗く。

「気分が悪いとか、違和感とか、無いですか!?」

「え、えっ?」

 2人のようにキョトンとするアレン。

 ……この様子からして、特に闇魔法に掛かった訳では無さそうだ。

 気の抜けるアレンの声に、2人は胸を撫で下ろす。

「大丈夫そうだな」

「良かった……」

 アレンも、2人の様子を見て自分が置かれていた状況に気付いたようだ。

「もしかして……僕、狙われてた?」

 自分を指差し、首を傾げる。

 カノンはそれに力無く頷いた。

「はい、そうです……でも、不思議ですね。お兄ちゃんと勇者様、連続して魔法を失敗させるなんて……」

 確かに、慣れぬ魔法は失敗する事がある。

 が、完全にその魔法を習得してしまえばその様なミスはほぼ無くなる筈だ。

 ……よっぽど下位の魔物だったのだろうか。

 

 3人は不思議に思い、首を傾げるのだった。

 

  ――それからちょっと後。

「あーあ、まさかあんなに魔力に敏感だなんて……」

 そこから少し離れたバー。

 そこで女性はカクテルを飲みながら溜息を吐いた。

「何をバカやってるの?」

 そこに違う女性の声が掛かる。

 見上げると、そこにはエンヴィーが立っていた。

「あんな回りくどい事しなくてもアンタの力なら倒せそうなのに」

 エンヴィーは女性の隣に座り、同じものをと注文する。

「いやあ、やっぱりあんな可愛い子が居たら欲しくなっちゃうじゃない?」

「失敗したけどね」

 笑顔で話す女性に、エンヴィーは冷たく返す。

「どうせ体目的の癖に」

「正解。寧ろそれ以外に興味は無いわ。遊んだら殺すつもりだったわよ」

 エンヴィーの分のカクテルがバーテンダーから渡される。

 エンヴィーはありがとう、と受け取りそれに口付ける。

「でも、どうして失敗したのよ?」

「ああ。あの子、心の底から好きな子が居るみたいね。私の魔法は、本気で恋をして、心から誰かを愛している者には通用しない」

 語りながら、自らの胸元に身に着けた宝石を指でなぞる女性。

 そうは言うが、心から誰かを愛するなんて、本当は簡単な事じゃない。

 愛人が居ても、少しでも心に隙があれば、この魔法は成功する筈だった。

 カラン、と氷が音を立てて溶ける。

「だから、あの男の子は無理ね。私のものにはなってくれそうにないわ」

「……そう、残念ね」

 目を背けまた一口、カクテルの飲み込むエンヴィー。

 興味が無いとでも言いたいのか、それとも。

 女性はそんなエンヴィーを見て意味ありげにクスリと笑う。

「まあ、あの子は諦めるわ。そうね……男の子の気分だから、次は勇者を狙ってみようかしら」

 女性はグラスを傾け一気にカクテルを飲み干す。

「あら、あの小娘は良いの?」

「言ったでしょ、今は男の子が良いの。それに、勇者本人を手に入れてしまえば魔王様もさぞお喜びになるでしょう? 私のものになる=討ち取ったみたいなものなんだし」

 その言葉を聞き、エンヴィーはフッと口角を上げる。

「好きにすれば良いわ。せいぜい頑張る事ね、魔王直属七天皇『色欲のラスト』さん」

 コトッ、とグラスを置くと女性――ラストは立ち上がる。

「はいはい、ラストさん頑張りまーすっ♡」

 茶目っ気を出して言うと、カクテル2杯分の金を置いて去って行った。

 

 

 

 ――暫く歩き、3人で町の中心部までやって来る。

 中心部には店やバーの他にも、様々な娯楽施設があった。

 演劇やオペラを鑑賞出来る劇場。

 噴水があり恋人達が行き交う広場。

 ギャンブルが楽しめるカジノ。

 どれも、華やかなものばかりだ。

 待ち合わせの時間のもあり、全て回って遊ぶのは正直なところ難しい。

 なので相談の上、3人は1つ劇場へと足を踏み入れた。

 劇場を推したのはカノンだった。

 今公演されている演目が「白雪姫」だったのだ。

 小さな頃、母親に絵本の読み聞かせてもらって大好きになったお話。

 もうこんなに大きくなってしまったけれど、その名を聞けば胸が躍る。

 ……というのも、まあそうなのだが、実際はやっぱり兄ジークとアレンの距離を詰めるのが狙いだ。

 2人でデートをさせる事が出来ない今、これが1番の策だと思ったのだ。

 だってキスシーンですよキスシーン!

 初心なお兄ちゃんならきっと意識してくれる筈!

 勇者様だってホントは女の子だもの、きっとキュンキュンしてくれる筈よ!

 そしていい雰囲気になって、一気に心の距離も急接近しちゃったりして!!

 そんな賑やかな内心はひた隠し、2人を劇場に押し込んだ。

 劇場はシャンデリアが飾られ、真っ赤な絨毯が敷かれ絢爛豪華な内装だ。

 田舎暮らしで煌びやかな雰囲気に慣れない3人は、やや緊張気味にチケットを買い、観客席へと入る。

 ジークを中心に、左にカノン、右にアレン。

 暫く待つと開演のブザーが鳴り、幕が上がる。

 誰もが知っている筈のお伽噺。

 けれど、様々な魔法や技術を駆使して演出を施し、厳しい訓練を受けた役者たちの演技によって構成される舞台は、新鮮な魅力があった。

 1つ1つの声、動きが観客を惹きつけて。

 そして、ラストのキスシーン。

 カノンがチラリと横を見ると、ジークが息を呑んだのが分かった。

 やっぱりお兄ちゃんは初心だなぁ。

 なんて思いながらアレンの方に目を向ける。

 アレンの方も真剣に舞台を見入っていた。

 表情は読み取れなかったが、きっと感動しているのだろう。

 そこで手の1つも繋がないかと期待してみるが、どうもそうはいかないらしい。

 少し歯痒く思っているところで、幕は下りた。

 客席が明るくなり、人々は立ち上がり出口へ向かう。

「なかなか凄かったな」

 感嘆の言葉を吐きながら、ジークは立ち上がる。

「うん、そうだね、面白かった!」

 それに返しながらカノンも立ち上がった。

 アレンも立ち上がろうとした、その時。

「ハァ~、素敵だったわ。貴方もそう思わない?」

 アレンの右側、つまりはジークとは反対隣に座っていた女性に声を掛けられる。

「? ええ、素敵でしたね」

 驚きつつも、アレンはその女性の言葉に同調する。

 女性はそれを聞き、満足そうに口角を上げた。

「貴方となら、良い話が出来そう。ねえ、少しご一緒できないかしら?」

 その瞬間、女性の目が怪しく光った。

 兄と話していたカノンが振り返る。

 感じたのだ、闇の魔力を。

 見ると、先程の女性が居るじゃないか。

「貴女、さっきの!」

 思わず声を上げる。

 それを聞いてジークも女性の方を見やる。

「えっ、どうかしたの?」

 カノンの声を聞き、アレンが振り返る。

 アレンが振り返ったのを見て、女性――ラストの顔が引き攣った。

「嘘でしょ、どうして魔法が掛からないの……!?」

 ラストが狼狽えている間に、ジークがアレンの腕を引く。

 カノンも臨戦態勢だ。ラストが何か起こそうものならいつでも動ける。

 それを見てラストは一歩後ずさる。

「おい、お前は何者だ。何が目的だ」

 ジークが低い声で脅すように言う。

「……ごきげんよう!」

 そのジークの声に気圧されるようにラストは踵を返し駆け出した。

「逃げた!」

「おい、待て!」

 ジークとカノンが慌てて追い駆ける。

 しかし、劇場を出るとその姿は忽然と消えてしまった。

「アレンにも声を掛けて来たとなると、カノンが言った事は間違いないみたいだな……」

「だから言ったじゃん、もう!」

 辺りを見回すジークとカノンに、やっとアレンが追い着く。

「ふ、2人とも、待ってよ……」

「あ、アレン……」

「ご、ごめんなさい勇者様」

 やや疲れたその様子に、兄妹は思わず申し訳なさそうに苦笑する。

 アレンも、少し息を整え気を持ち直す。

「カノン、さっきのが?」

「はい、お兄ちゃんに魔法を掛けようとした人です。闇の魔力を感じ……あれ?」

 そこまで言い掛けて、カノンは何か違和感に気付く。

 さっき、女性に気付いたのは闇の魔力を感じたから。

 その魔法の標的は……アレンだった筈だ。

 つまり……今アレンは闇魔法に掛かっているのでは?

 ジークも気付いたらしい、慌ててアレンの肩をガッと掴む。

「アレン、大丈夫か!? 何か、変な感じしないか!?」

「へ?」

 カノンも慌てた様子でアレンの顔を覗く。

「気分が悪いとか、違和感とか、無いですか!?」

「え、えっ?」

 2人のようにキョトンとするアレン。

 ……この様子からして、特に闇魔法に掛かった訳では無さそうだ。

 気の抜けるアレンの声に、2人は胸を撫で下ろす。

「大丈夫そうだな」

「良かった……」

 アレンも、2人の様子を見て自分が置かれていた状況に気付いたようだ。

「もしかして……僕、狙われてた?」

 自分を指差し、首を傾げる。

 カノンはそれに力無く頷いた。

「はい、そうです……でも、不思議ですね。お兄ちゃんと勇者様、連続して魔法を失敗させるなんて……」

 確かに、慣れぬ魔法は失敗する事がある。

 が、完全にその魔法を習得してしまえばその様なミスはほぼ無くなる筈だ。

 ……よっぽど下位の魔物だったのだろうか。

 3人は不思議に思い、首を傾げるのだった。

 

 ――一方その頃。

「どうしてあの子にも掛からないのよ、こんなのおかしいわ……!」

 狭い路地裏に、酷く狼狽した様子で呟くラストが居た。

 魔王直属七天皇たる自分が、まさか2度も魔法に失敗するなんて。

 あの勇者にも想い人が居るのか……?

 それとも何か他の要因か……!?

 思い付くだけの原因を並べるが、結局それは言い訳に過ぎない。

 失敗したという事実に、変わりはないのだ。

「嘘でしょ、このままじゃ私、魅せ場無し……? まずいわ、それはまずい。魔王様に会わせる顔が無いもの……」

 冷や汗をかき、目を回していると、そこにもう1つの人影が現れた。

「また失敗したのね」

 エンヴィーだ。

 無様だと言わんばかりにラストを見下ろしている。

「何よ、嗤いにでも来たのかしら?」

 眉間に皺を寄せ、ラストが言う。

 するとエンヴィーは見下したまま返す。

「嗤っても良いと言うなら、嗤うけれど?」

 その冷たい視線に、ラストは溜息を吐いた。

 最早言い逃れは出来ない。

「どうぞご自由に」

 これが彼女が言える精一杯の返事だった。

「そう。じゃあ、嗤わせてもらうわね」

 エンヴィーがすぅ……と息を吸う。

 どんな罵倒でも受ける、そうラストが覚悟した直後。

「アッハハッハハハハハハハハハ!!!!」

 発せられたのは嘲笑とは言い難い、大爆笑だった。

 まるで面白いものでも見たように、エンヴィーは腹を抱えて笑う。

 流石のラストも、これには驚く。

「あ、アンタ……どうしたの? 馬鹿にでもなっちゃった?」

「だって、だって!! 本当に気付いていないの!!? アンタの方こそ馬鹿じゃないの!」

 笑いながらエンヴィーは言う。

 その言葉にラストは首を傾げた。

 何か、自分が気付いていない事があるのか……

「き、気付くって何を……?」

 ラストが尋ねると、エンヴィーは笑い過ぎて零れた涙を拭って言った。

「あの勇者、女よ?」

「…………えっ」

 あの勇者、女よ?

 あの勇者、女。

 勇者、女

 女。

 女……?

「女アアアアアアアアアアァッ!!?」

 思わず声を上げる。

 その反応にエンヴィーはまた笑い出してしまった。

 ……その後、2人のバカ騒ぎが収まるまで10分程時間を有した。

 ようやく落ち着きを取り戻したラストは頭の中で思考を巡らせる。

 確かに、可愛らしい顔立ちをしているし、華奢な体格だけど……

 正直、全く気付かなかった。

 しかし、言われてみれば確かにあれは女だ。

 頭の中で合点がいく。

 自分の魔法には、もう1つ条件があるのだ。

 そう、「対象が異性である」事……。

「だから魔法が掛からなかったのね……」

 ゲッソリとやつれた顔で言うラスト。

「ハー、笑った笑った。面白かったわよ、ラスト」

「アンタねぇ、知ってるなら先に言いなさいよ」

 膨れ面で言うラストに、悪戯っぽく舌を出すエンヴィー。

 コイツ、わざとだわ……。

 ラストは頭を抱えた。

「でもまあ、それが分かれば話は早いわ。良い男捕まえなきゃ……」

 大きく息を吐き、ふらりと歩き出すラスト。

「あら、そんなに勇者が欲しいの?」

 エンヴィーもそれに合わせ歩き出す。

「あそこまで馬鹿にされて、逆に見逃せるものかって。絶対に手に入れてやる!」

「男の子の気分だって言い張ってたくせに」

「それはそれ、これはこれよ」

 路地裏を進む彼女達に、バッタリと男が鉢合わせた。

 先程劇場で王子役を演じ上げた役者だった。

「おや、こんな所で何をされているのですかお嬢さん方? ここは役者たちが使う裏道なのですが……」

「あら、良い所に」

 そう言ってラストはその男に近寄る。

 ふむ、なかなかのイケメンじゃない?

 そう思いながらまるで品定めでもするように顔を見つめる。

「おやおや、私に顔に何かついてますかね?」

 男が困ったように言うと、ラストはニコリと笑う。

 決ーめたっ♡

 次の瞬間、男を見つめるラストの目がまた怪しく光った。

 すると、男の目から光が消える。

 ラストが持つ闇魔法――誘惑だ。

 この魔法に掛かると、対象はラストの虜になってしまう。

 彼女だけを愛し、彼女の言う事は絶対という、操り人形になってしまうのだ。

 この術で、ラストは沢山の人間を堕落させ、我が物にしてきた。

「あ、今度は上手くいったわね」

 嫌味たらしくエンヴィーが言う。

 ラストは一瞬眉をピクリと動かすも、笑みを崩さずに男に言った。

「さあ、私の可愛い恋人さん。この宝石を手に取って?」

 胸元に付けていた妖しげに輝く宝石を男に差し出す。

「勿論です、私のプリンセス……」

 男はふらふらと近付き、ラストの手から宝石を受け取った。

 次の瞬間、ラストの身体が崩れ落ちた。

 それを見下ろしながら、男はニヤリと笑う。

「乗っ取り成功~♡これであの勇者に魔法を掛けられるわ……フフフ、覚悟しなさい……」

 

 劇場を出たアレン達一行は、シルフに言われた宿を目指して西へ向かっていた。

 日も落ち始め、町に明かりが灯り始めている。

 夕方に来いと言われていたが、少し遅れそうだ。

 3人は足早に進む。

 だんだん暗くなってくると、町は昼間とは違う表情を見せ始めた。

 ロマンチックな照明。

 暗闇の中で、光を放つ花々。

 先程までの賑わいとは違う、少し大人な話声。

 まだまだ幼い3人には、少しミステリアスな雰囲気。

 それを魅力的と取るのはカノン。

 ちょっとドキドキしてしまうのはアレン。

 また何となく、居辛く感じるのはジークだった。

 中心地から外れると、だんだん人気も少なくなってくる。

 そんな中、ジークがある人影を目にした。

 自分とアレンに声を掛け、魔法を掛けようとした女だ。

「おい、あれ……」

 アレンとカノンに静かに声を掛ける。

 アレンとカノンも、言われて女に気付く。

 彼女はとても困ったような様子でキョロキョロしている。

「……近付くのは危険じゃない?」

 カノンは言う。

 しかし、アレンは首を横に振った。

「でも、魔物を町に野放しにするのも、どうかと思う」

「アレンに賛成だな。放っておいて良い事も無いだろう」

 いつでも剣を抜けるように、柄を握る。

 カノンも、杖を強く握った。

「行くぞ」

 ジークの声で女性に近付く。

 女もこちらに近付いて来たのに気付き、目を見開く。

「ななななな、何ですか?」

 怖い顔で武器を持ち近付かれれば、普通誰だってこうなるだろう。

 完全に取り乱している。

「おい、さっき俺に声掛けて来ただろう?」

 ジークが言うと、女は今にも泣きそうな顔で首を横に振った。

「わ、分かりません……」

「分からない? でも、さっき会ったじゃない」

 カノンの言葉にも、女は更に強く首を横に振った。

「分からない……思い出せないんです。ついさっきまでの事……」

「? どういう事だ……?」

「私、ジュビリアムの街でお父さんと一緒に宝石屋に居た筈なんです……でも、気付いたら、ここに居て……」

 怯えて震えながら、女は話す。

 様子からして、嘘を吐いているようには見えない。

 けれど、それなら先程の事は、一体どう説明すれば良いのだろうか。

「魔物に洗脳されていた、とかですかね……ほら、あの時のお兄ちゃんみたいに」

 カノンの言葉に、ジークは頷く。

 確かに、そう思えば合点がいく。

「なあ、気を失う前や気が付いた時、魔物を見なかったか?」

「ま、魔物……?」

 女性は首を横に振る。

 どうやら覚えていないらしい。

 手掛かりは無いのだろうか。

「……あ、でも」

 暫く考えてから、女性は口を開いた。

「魔物じゃないですけど、ピンク色に輝く宝石を付けている人を見ました。別人でしたけど……」

「ピンク色に輝く宝石?」

 ジークは覚えがあった。

 確か、先程までこの女性はピンク色の宝石を身に着けていた。

 それに、自分に闇魔法を掛けたエンヴィーは緑色の宝石を身に着けていた。

 何か、宝石に関連性があるのだろうか。

「……なあ、どう思う。アレン?」

 アレンに意見を仰ごうと振り返る。

 しかし、そこにアレンに姿は無かった。

「なっ、アレン……!?」

「え?」

 ジークの様子を見て、カノンも振り返る。

 やはり、アレンの姿は見えない。

「あれ、勇者様は……?」

 狼狽えるカノン。

 ジークも、嫌な胸騒ぎを感じていた。

 この女性を操っていた魔物が、まだ別に居たとしたら……

「カノン、探すぞ! まだ遠くには行っていない筈だ!」

「うん!」

 女性を残し、2人は駆け出した。

 

  その頃アレンは……男に路地裏へ引きずり込まれていた。

 抵抗しようにもその力は強く、身動きを封じられてしまう。

 口を塞がれ、声を出す事も出来ない。

 自分達を探して駆け出したジークとカノンが離れると、男は手を離した。

 アレンは突然の事に驚くも、男から素早く離れ剣を向ける。

「何者だ……!」

 アレンが睨みながら言うと、男はフッと笑う。

 その顔に、アレンは見覚えがあった。

 劇場で王子役を演じていた男だ。

 目的は分からないが、敵意がある事は明らかだった。

「そんな顔しないで、勇者さん♡」

「えっ……?」

 思わず目を見開くアレン。

 この町で自分は勇者だと1度も名乗っていない。

 それを知っているという事は……

「お前、カノンが言っていた魔物の仲間か!」

 男は意地悪そうに笑う。

「仲間、というより……あの子が言っていた魔物本人よ?」

「どういう意味だ? 確か、あの魔物は女の姿をしている筈じゃ……」

 訳が分からなくなるアレン。

 男はそんな様子を楽しんでいるようだった。

「男になり代わったのよ」

 コツ、と一歩男は踏み出す。

 距離を取ろうとアレンも一歩後ずさった。

 しかし、次の瞬間男は目にも止まらぬ速さでアレンに接近する。

 慌てて振り払おうと剣を振るうが、それを避け男はアレンの顎をクイッと持ち上げた。

「貴女を、自分のものにする為に、ね」

 顎を持ち上げられ、男――ラストから目を背けられないアレン。

 怪しく光るその瞳を、真っ直ぐに見てしまう。

 アレンの意識は、暗闇へと堕ちて行った……。

 

「! 今のは……」

 アレンを探して駆け回っているジークとカノン。

 何かを感じたのか、カノンが足を止めた。

「カノン、どうかしたか?」

「今の……もしかしたら、闇の魔力かも知れない」

「!」

 カノンの言葉に動揺を隠せないジーク。

 闇魔法が使われたとしたら……やはりアレンが狙いだろう。

「カノン、場所は!?」

「こっち!」

 カノンの誘導で走り出す。

 来た道を戻り、途中で逸れて細い路地裏へ……。

「ここ!」

 カノンが奥を示して叫ぶ。

 ジークは路地裏を駆け抜けていく。

 暫く進むと……そこには男に肩を抱かれたアレンが居た。

「アレン!」

 その名を呼ぶと、アレン本人ではなく男の方が振り返った。

 男の腕の中で、アレンは光を失った瞳でぼんやりしている。

「お前、アレンに何をした!」

 異常なアレンの状態に焦りを感じながら、ジークは剣を抜いた。

 その焦り以上に、男への怒りの方が勝っていた。

「フッ、彼女は私に自らの意思で着いて来ているだけだけど?」

 男はそんなジークを鼻で嘲り笑う。

 ジークはその話し方に聞き覚えがあった。

 あの、魔物の女だ。

「貴方、勇者様を返しなさい!」

 追い付いたカノンが指差し叫ぶ。

 その声でジークも思考を引き戻す。

 今はあの男の中身等どうでも良い。

 アレンを取り戻さなくては。

「あら、元気が良いわね。貴女もこちらにいらっしゃい、お嬢ちゃん」

 男の目がまた怪しく光る。

 カノンは闇の魔力が動いたのを感じ取り、咄嗟に避けるように身を屈める。

 すると、カノンは魔法に掛からなかった。

「あれ……私、平気……?」

「ちょ、ちょっと! 何で目を背けるの!」

 魔法が成功せず、思わず男は声を荒げた。

 その言葉に、思わずカノンは声色を明るくして言う。

「成程、目を見なければ良いのね!」

「あ……」

 男は思わず顔を引き攣らせた。

 調子に乗り過ぎたか……思わず口が滑った。

 にしても、この少女が魔力を感じとって回避行動をとったのが悪い!

 自分の失態があるとはいえ、魔法の発動条件を見破られるなんて……

 それに、闇の魔力に気付いて自分の正体を見破ったのも、勇者が捕らわれたのに気付いたのも……

 恐ろしい、なんて少女だ。

 カノンの方は強気に笑っている。

 弱点が分かってしまえば何も怖くない。

 ジークも弱点を見破った妹に親指を立てる。

 そして剣を構え、一気に男に接近する。

「くっ……!」

 男はジークの攻撃に備え、アレンを盾にするように前へと導いた。

 ジークは慌てて振り上げた剣を地に振り下ろす。

 アレンに攻撃する事なんて出来ない……!

 アレンは、盾にされたにも関わらずラストの元へふらりと戻っていく。

「アレン! 戻って来い!」

 思わず叫ぶジーク。

 しかし、その声も届いていないようだった。

 気にも留めず、男の腕の中へ。

「言ったでしょう? この子は自らの意思で私に着いて来ているって。ね?」

 男はアレンに問う。

 するとアレンは愛おしそうに目を細め、それに頷いた。

「おい、アレン……?」

 それにジークは愕然とする。

 一瞬、目の前が真っ暗になったような気さえした。

「彼女は私を慕っている。忠誠を誓い、その身を捧げ、そして愛している。この子の心は私のもの。アンタ達の入る隙なんてなーいの!」

 高笑う女の声が、脳内に反響する。

 アレンが、魔物のものに……?

 愛、して……?

「お兄ちゃん、惑わされないで!」

 カノンがジークの背を思い切り叩き上げる。

「痛っ……!?」

 その大声と痛みに、脳内で響き渡る女の声は掻き消えた。

 くらりと崩れ落ちそうになる眩暈を堪え、踏み止まる。

「勇者様は闇魔法で操られているだけよ! アイツを倒して、勇者様を取り返すの!!」

 冷静さを取り戻したジークは、その言葉に力強く頷く。

 アレンを傷つけずに、アイツを倒す……!

 再度接近を試みた。

 しかし、やはりアレンを盾にして躱す男。

 男がアレンを盾にしている、というよりはアレンが自ら盾になっているようだった。

 動きずらい状況に、唇を噛む。

「……なんだ、こんなものなの。ねえ、勇者さん。そろそろ帰りたいし、そいつ等始末してくれる?」

 男は暫く悪戦苦闘しているジークを見物していたが、退屈し始めたのかアレンに言う。

 するとアレンは頷き剣を抜いた。

「おいおい、嘘だろう……!」

 予想外の展開に、思わずジークは声を漏らす。

 そんなジークに、容赦なくアレンは攻撃を仕掛けて来た。

 慌てて躱すジーク。

 カノンもこれは危険だと判断して距離を開ける。

 アレンはただ2人を倒す為に行動する。

 魔法で暴風を起こし、仲間に容赦なく剣を振り下ろし。

 そんなアレンに、ジークは反撃出来ない。

 だからと言って、このままでは自分達が追い詰められるだけだ。

「お兄ちゃん、どうするの!?」

 カノンが悲鳴を上げる。

 そんな事訊かれても、自分が1番分からない。

 傷付けずに、何とか正気に戻したい……

 その一心で攻撃を避け続けていた、一瞬だった。

 アレンが攻撃を外し、大きくよろめいた。

 その腕を、ジークは咄嗟に掴む。

 何か作戦や考えがあった訳じゃない。

 無意識だ、そのまま強くその腕を引く。

 引き寄せられバランスを崩したアレンは、ジークの胸に抱かれた。

 何が起きたか把握しきれず、大きく目を見開く。

 ただ感じるのは、ジークの温もり。

「アレン、思い出せ! お前はあんな奴の手下じゃないだろう!」

 ジークの声で、顔を上げる。

 目に映ったのは、大切な幼馴染の顔。

「お前は俺が守る! あんなタラシよりも絶対に俺が大切にする! だから……帰って来い、アレン!!」

 ドクン。

 大きく胸が鳴った。

 そして……。

「ジー、ク……?」

「! アレン……!」

 アレンの意識は闇から浮上する。

 長く気を失っていたような、そんな気がする。

 ただ、胸の高鳴りだけは、確かに覚えている。

「! 誘惑が解けた……!?」

 男の瞳が揺れた。

 カノンはアレンの体内から闇の魔力が消え去ったのを感じた。

「もう大丈夫! 魔法は解けたみたい!」

 その言葉に、ジークは強く想い人を抱きしめる。

「良かった……本当に良かった……!」

「ジーク……?」

 そんな彼の背に、アレンは腕を回した。

 何があったか思い出せない。

 思い出せないけれど、胸の奥が熱い。

 何だか、顔まで熱くなってきた。

 その熱に、少し頭がくらくらしそうだ。

 暫くして、ジークはそっと抱き締める腕を解く。

 アレンも、それに気付いて腕を離した。

「僕は、一体……? 何があったの?」

「思い出さなくて良い。それより今は、アイツを倒すぞ」

 ジークは優しくアレンの髪を撫でると、剣の切っ先を男に向けた。

 男はそれこそ目を白黒させていたが、すぐに気を持ち直し笑う。

「まさか、こんな事になるとは……面白いわね、貴方達!」

 そう言って拍手を送る。

 3人はそれを睨み付けて様子を伺っている。

「名前くらい、名乗ってあげる。魔王直属七天皇の1人『色欲のラスト』よ。冥土の土産にでもして頂戴な」

 そう言うと、男――ラストは3人に背中を向けた。

「待て!!」

 ジークが追おうと飛び出すと、そこに突き刺すような蹴りが入った。

「ぐは……!?」

「ジーク!」

 アレンはジークに駆け寄る。

 顔を上げると、そこには数人の女性が立っていた。

 先程のアレンのように、目に光を失っている。

「まさか、コイツ等も操られているのか……!?」

 狼狽えている間にも、女性達は迫って来る。

「仕方ない、戦おう!」

「そうですね、戦わないとこっちがやられちゃいます!」

 覚悟を決めてアレンとカノンは戦闘態勢に入る。

 ジークも仕方なく剣を握り直す。

 女性達は只者ではないらしく、身軽に動き回り攻撃してくる。

 その中の1人は劇場でヒロインの姫を演じていた女優。 

 他も劇団員で、様々な訓練を受けていた面々だ。

 そう簡単にはやられてくれない。

 その攻撃を捌き、避け、反撃する。

 しかし、人間を相手にするとなると抵抗があるのか、3人は押され気味だ。

「く、まずいな……!」

 ジークが受けた傷をカノンに治療してもらう為一度下がる。

 カノンは治癒魔法を発動させ、アレンはその間敵を引き付ける。

 傷が満足に治らないまま、ジークは前線に飛び出す。

「どうするんだい、このままじゃ……!」

 アレンも焦り始めていた。

 このままでは、負けるのも時間の問題だろう。

 3人がそれぞれ思考を巡らせていた、その時。

「何をしている!」

 凛とした声と共に吹き荒ぶ風。

 風は女性達をアレン達から押し離し、吹き飛ばした。

 3人が振り返るとそこにはシルフが居た。

 夕方を過ぎても3人が来ないから、心配して様子を見に来たのだ。

「シルフ! 力を貸して!」

「アイツ等、魔物に操られているんだ!」

「何……?」

 吹き飛ばした女性達に目をやるシルフ。

 確かに、闇の魔力を感じる。

「……成程な。分かった、力を貸そうじゃないか」

 瞬時に状況を判断したシルフが、戦闘に加わる。

 追い風に背中を押され、一気に勢いがこちらに替わった。

 強い風で動きを封じ、こちらはその勢いを利用して攻撃力を上げる。

 素早い風を利用して回避する。

 完全に風を味方に付けた3人は、あっと言う間に決着をつけた。

 女性達を全員戦闘不能にしてしまう。

「可哀想だが……意識が戻る前に縛りあげてしまおう。また襲われたら堪ったものではない」

 倒れた女たちを見下ろしながら、シルフが言う。

「うん……仕方ないね」

 女性達を劇場の出演者控室に送り届け、一行はシルフの娘が経営する「フーカの宿」へと向かった。

「おい、戻ったぞ」

 やって来たフーカの宿。

 シルフは戸を開け、呼び掛ける。

 すると、シルフに良く似た緑色の髪を持つ女性がカウンターから出て来た。

 どうやら、彼女がシルフの娘らしい。

 と言っても、見た目はシルフと同じくらいか少し下くらいの歳に見え、親子と言うよりは兄妹のようだ。

「お帰りなさい、お父様。あら、その方々が?」

 シルフの後を着いて行くように歩いていたアレン達に気付き、娘は首を傾げた。

「ああ、紹介するよ。契約者のアレン、そしてその他2人だ」

「おい、その他って……まあいいか……ジークだ、宜しく」

「カノンです、宜しくですっ!」

「アレンと言います。宜しくお願いします」

 3人が挨拶すると、娘は優しく微笑む。

「あら、可愛らしい勇者御一行ね! 父がお世話になっています。私はフーカ。今夜はゆっくりしていってくださいね」

 そう言って娘――フーカは今夜一行が泊まる部屋の鍵を手渡してくれた。

 部屋に入ってみると、質素だが優しい温もりのある部屋で、柔らかいベッドや丁寧に手入れされたテーブルがあった。

 また、冒険者向けの宿なのだろう、親切に武器や鎧を置ける棚まで付いている。

「わあ、素敵な部屋だね……!」

「本当だ、使いやすそうだな」

「ベッドだー!」

 部屋の良さに声を漏らすアレンとジーク、ベッドに飛び込むカノン。

 そして、そんな3人の様子を見て満足げなシルフ。

 自慢の娘の宿が好評なのだ、嬉しくない訳が無かった。

 一行の宿に対する満足度は最高だった。

 同時に、長い馬車旅と今日1日の出来事で疲労度も最高だったらしい。

 一行は、暖かなベッドであっという間に眠りに就いた……。

 

 ――次の日。

 久々のベッドですっかり疲労も回復し、元気いっぱいになった一行。

 一行は、スィーアへの出国許可を得る為に王都『ジェニリアル』を目指す事にした。

 真っ直ぐ王都を目指すとその途中に『デルモルト村』という村がある。

 ここから王都を目指す場合、その村に立ち寄るルートを使う事が多いらしい。

 旅人も多く滞在するこの宿の主人フーカが言うのだから、間違いはないだろう。

「デルモルトは良い村ですよ。のどかだけれど、旅人が多く立ち寄るから活気もあって」

「確かに、大きなこの町と王都の間ですもんね」

 アレンの言葉にフーカは頷いた。

 そして、地図上のデルモルト村と王都ジェニリアルに印を付けてくれた。

 一行は印の付いた地図を覗き込む。

 この町から、北に向かう事になる。

「デルモルトに、知り合いのお店があるんです。勇者一行が向かっていると伝書鳩を飛ばして伝えておきますね。何か、おもてなしをしてもらえるかも」

 フーカの申し出に、3人は驚く。

「そんな、お気遣い無く……!」

「良いんですよ、父がお世話になっているお礼です。それに、旅をするなら勇者としての名声は得ておく方が良いかと思います」

 アレンが言うも、フーカは優しく笑んで鳩の用意をし始めた。

 申し訳なさそうに眉を下げるアレンの肩に、シルフはポンと手を置く。

「そうだ、言葉に甘えよう。うちの娘が言うのだから間違いない」

「……親バカ……」

 小さく呟いたジークをシルフは睨み付ける。

 ジークは目を逸らして口笛を吹く。

 その様子を見てフーカはクスクス笑う。

「仲良しなんですね」

「仲良くない!!」

「断じて違う!!」

 フーカの言葉に同時に反応するジークとシルフ。

 それに女性陣は声を出して笑った。

 暫くし笑い終えると、フーカは店先まで一行を見送ってくれた。

「デルモルト村に着いたら『コネクの酒場』に行ってみてください。どうか、道中お気をつけて」

 別れと礼を告げ、一行は出発した。