魔王を倒すため、勇者として旅を始めたアレン。

 そして、その付き人としてアレンを守る命を受けた兄妹のジークとカノン。

 三人は、まず隣町であるクルティの町に向かった。

 三人が住んでいた村は十年前、魔王軍の襲撃を受けた。

 その結果、村のほぼ全ての建物が燃え落ち、沢山の住人が犠牲になった。

 生き残った住人も殆どがクルティの町に移住してしまった。

 しかし、ジークとカノンの祖父は頑なにその土地を離れようとせず、新たな家を建てジーク達一家とアレンだけが住んでいたのだ。

 それに比べ、クルティの町には自警団が結成されており、魔物達の被害をあまり受けていない。

 故に人も多く、中継地点には最適だ。

 隣町なだけあって、クルティの町には三人共訪れた事がある。

 しかし、これも旅だと思うと、三人は初めておつかいを任された子供のように、不安と緊張、期待とが入り交じったような不思議な感覚を感じ、胸を高鳴らせていた。

 そのせいか、普段はお喋りが絶えないのに口数が少なくなり黙り込んでしまう三人。

 沈黙を破ったのはカノンの声だった。

「これから、どんな旅になるんでしょうね! 魔物を倒してドンドン強くなって、知らない物とかもいっぱい見て……!」

「カノン。僕達は魔王を倒しに行くんであって、観光するわけじゃないんだよ?」

 ワクワクを表現して言ったカノンに、アレンは少し厳しく言葉を返した。

「でも、そんなに気を張っていたらすぐ疲れちゃいますよ?」

「だけど……」

「……」

 無邪気なカノンと、少し冷たいアレン。

 ジークはそんな二人を黙って見ている。

 そして、暫くしてから、そっとその口を開いた。

「あんまり緊張すんな、アレン」

「えっ?」

 その言葉に思わず足を止めてしまうアレン。

 アレンの一歩前に踏み出したジークは振り返り、そっと手を差し伸べた。

「勇者として、しっかりしなきゃとか考えてるんだろ? お前のことだから。……大丈夫、俺達がついてる。お前は一人じゃないよ」

 二人は幼い頃からの仲で、ジークはアレンの性格をよく知っている。

 真面目で、人一倍正義感や責任感が強くて。

 故に、緊張しているのだろうとすぐ察しがついたのだ。

 それを見てカノンもニッと笑い、兄と同じようにアレンに手を差し伸べる。

「そうですよ、私達が居ます! だから、肩の力抜いていきましょう?」

「ジーク……カノン……」

 敵わないなぁ、なんて思いながらアレンは二人を見つめた後、その手を握った。

「うん、二人共ありがとう。ちょっと緊張していたみたいだ」

 少し情けなさそうにアレンは笑った。

 二人はつられるように笑い、力強くアレンの手を引っ張る。

 そして仲良く手を繋ぎ、クルティの町へと歩いていくのだった。

 

 

 クルティの町には一時間ほど歩けば着く。

 時計の針が空を指す前に到着した三人は、町の一角で地図を広げていた。

 三人が知っている世界はここまでだ。

 この町から先は、この三人の誰も行った事がない。

 なので、早いうちに落ち着く場所を決めようという考えだ。

 町や村の中なら魔物に襲われる心配はない。

 まあ、ここらの地域の魔物はあまり強くないし、日が出ているうちはその活動もあまり活発ではない。

 かと言って、油断は禁物だ。

 夜の魔物達は、より狂暴になるのだから。

 どこかの町か村かで夜を越すのが最善だろう。

「一番近いのは……この村か?」

「でもお兄ちゃん、もうちょっと先に大きな街があるよ」

「うーん……ちょっと今日着くには街は遠くないか?」

「……」

 ジークとカノンが地図を見ている中、アレンだけ何処か違うところを見つめている。

「……アレン? 聞いてるか?」

「え? あ、ごめん。何?」

 ジークの声にはっとして、視線を戻すアレン。

「何を見ていたんですか?」

「いや、その……何も……」

 カノンが訊くとアレンは困ったように眉をハの字にする。

 アレンが見つめていた方向を見ると、綺麗なドレスが飾られた服屋があった。

「あら可愛い」

「あ、ドレス……」

「うっ……」

 ジークとカノンが言うと、アレンは恥ずかしそうに顔を隠してしまった。

 ジークは慌てて周りを見回す。

 しかし、幸いにこちらに注目している者は居なかった。

 それを確認すると、ジークはホッと胸を撫で下ろす。

 伝承の中に女性の勇者は存在しない。

 故に、勇者であるアレンが女だと知られるのは避けたいのだ。

 しかし、見られていないと分かると、何となくジークはアレンに微笑ましさを覚えた。

 ああ、アレンも、本当はオシャレだってしたい女の子だもんな……。

 それはカノンも同様だった。

 勇者様も、やっぱり可愛らしい女の子ね。

 そう考えると、思わず二人は笑ってしまう。

「わ、笑わないでよ……!」

 アレンは真っ赤になった顔を隠したまま弱々しく訴える。

「いやぁ、ごめんごめん」

「フフ、すみません。つい」

「もう……ほら、次の目的地は? 教えて?」

 アレンは紛らわすように地図に視線を落とす。

 それを見てクスッと笑いながら、二人もまた地図を見つめた。

 三人が地図とにらめっこしていると、町中に大きな声が響き渡った。

「誰か、手を貸してくれ!!」

 三人が驚き顔を上げると、一人の精悍な男が、その仲間だと思われる傷だらけの男を担いで町の門をくぐった。

 その男達が身に着けている鎧には、クルティ自警団の紋章が描かれている。

 町は騒然となった。

 傷を見て悲鳴を上げる女。

 あまりの痛々しさに泣き出してしまう子供。

 手を貸そうと駆け寄る他の自警団員達。

「団長、大丈夫ですか!?」

「ああ、俺はな。それより、コイツを早く……!」

 その様子を見たカノンは、いきなり男達の元へと走り出す。

 小柄な身体を駆使して人ごみを走り抜け男達に近付いて行く。

「おい、カノン! 待て!!」

 ジークが止めようと手を伸ばしたが人ごみに阻まれ叶わない。

「ジーク、裏道を使おう!」

 そう声を掛けるとアレンは路地裏に入っていく。

「お、おう!」

 ジークもそれに続く。

 二人はこの町に幼い頃から何度も通っている。

 それ故、裏道などにも詳しいのだ。

 アレンを先頭に、細い路地裏を抜け男達に近付こうと試みた。

 その頃、あっと言う間に男達に近付いたカノンは傷の痛々しさに怯む事もなく力強く男達に声をかけた。

「その傷、私に見せて!!」

 団長と呼ばれた精悍な男は傷付いた仲間を丁寧に降ろすとカノンを睨みつけ、怒鳴りつけた。

「なんだ小娘! 今は貴様のような子供の相手をしている場合じゃないのだ!!」

「うるさいわね、人の命が掛かってるんでしょ! 子供とか何だとか、言ってる場合!?」

 こんな大柄な男に怒鳴られれば、普通この歳の少女は恐ろしくて震えあがってしまうだろう。

 しかしカノンは有ろう事か反論してそのまま傷付いた自警団員の傷を診始めたのだ。

「何をしている小娘、退け! 早く運んで手当をせねば!!」

「待って! この出血だと移動させる時間もないわ!」

 そう叫ぶとカノンはそっと傷だらけの体に手をかざす。

「おい、何をする気だ!?」

「うるさい、黙って! 集中させて!!」

 カノンの覇気のある声に、その場の全員が黙り込む。

 沈黙に包まれる町。

 すると、カノンの手から、優しい光が溢れ出す。

 傷を癒す力……カノンの家の女性に代々伝わる、治癒魔法だ。

 光は自警団員の体を包み込み、傷を塞いでいく。

「傷が、治っていく……!」

 団長が声を漏らすと光はカノンの手に集まり、そのまま収束した。

「……これで大丈夫、治ったわ」

 カノンがそう告げると、傷の癒えた自警団員は目を開けた。

「あれ、俺……? 団長……? 俺、あのとき死んだんじゃ……」

「! 意識が……!」

 団長は目を見開いた。

 カノンはそれを見てほっとしたように微笑む。

 一部始終を見ていた町の民が拍手を送る。

 そこに、やっとアレンとジークが追いついて現れた。

「カノン! おい、どうなって……」

「あ、二人とも! んー、酷い怪我だったからちょっと治しちゃっただけだよ?」

「え?」

 アレンとジークが、カノンの見ている方向を見ると、傷の治った自警団員と、部下の回復を喜ぶ団長の姿があった。

「そっか……よく頑張ったね、カノン」

「えっへん!」

 アレンに褒められるとカノンは自慢げな表情をした。

 すると、そんな三人に声が掛かった。

「おい、そこの三人!」

 声に振り返ると先程の団長が立っていた。

 しかし、先程よりも表情が柔らかく見える。

 彼は自警団特有の敬礼をし、

「小娘……いや、お嬢さん。さっきはありがとう。俺の名前はダリグ、このクルティ自警団の団長だ」

と挨拶をした。

「どういたしまして! 私はカノンだよ。こっちは私の兄の……」

「ジークだ。妹がどうも……で、」

「僕はアレンです。よろしくお願いします」

「ああ、よろしく。……実は、君に頼みがあるんだ」

「? 頼みって?」

 カノンが返すと男――ダリグは切実な表情でその頼みを告げた。

「まだ、傷付いた仲間が居るんだ。頼む、さっきの魔法で、アイツらも治してくれないか?」

 カノンは躊躇う事なく頷いた。

 自分が誰かの為になるなら、こんなに嬉しい事は無い。

「勿論、私が力になれるなら! ね、いいでしょ? 勇者様、お兄ちゃん!」

 二人も迷わず頷いた。

 断る理由なんて、見つからなかった。

「勿論だ」

「困っている人を、放っておくことなんてできないもんね」

「有難い……! じゃあ、こっちに来てくれ。案内するよ」

 団長のダリグが先導すると、三人はついて歩き始めた。

 案内され自警団が拠点としている建物に入ると、十名程の団員が怪我の痛みに呻いていた。

 他の団員はその傷の手当てにあたっていたり雑談していたり、様々だ。

「……よし」

 カノンは小さく息を吐き気合いを入れる。

「重傷の人から治療するね。団長さん、一番傷が酷い人を教えて!」

「ああ。こっちだ」

 カノンとダリグが奥に入っていくと、アレンとジークの二人は取り残されてしまった。

 二人は傷を治す魔法が使えないから、正直なところ行っても邪魔になるだけなのだ。

 カノンは魔法を発動する際、集中力を途切れさせられると恐ろしくイライラする。

 変について行くより待っていた方が良いだろう。

 そう思い二人は建物の隅で待たせてもらうことにした。

「なあ、聞いたか? アイツら、またミネの村のモンスターにやられたらしいぜ」

「またかぁ。全く、どこから湧いてくるんだかなぁ……」

 待っている間、退屈していたアレンとジークの耳に入って来たのはそんな自警団員の会話だった。

「なんでも、あそこの鉱山から湧いてるって噂だ」

「ああ、あの鉱山かぁ。あそこは確かジュビリアムの街名物のジュエルアクセサリーの原石が採れるところじゃねえかぁ」

 ミネの村、ジュビリアムの街。

 先程三人で地図を広げていた時に見かけた名前だった。

 ミネの村はここから歩いて半日ほどの場所にある。

 大きな鉱山があり、様々な宝石の原石が採れることで栄えている。

 今日落ち着く候補の一つだった場所だ。

 ジュビリアムの街はミネの村から更に歩いて森を抜ければ着く位置にある大きな街だ。

 ミネの村から仕入れた原石をアクセサリーに加工して商売することで、ここ数年で一気に繁栄した。

 前は貧しく小さな村だったが、今ではもうこのクルティの町よりも大きくなっている。

「ああ。宝石商人たちも鉱山に入れず商売できないって話だ」

「ミネは宝石を売れず貧しくなり、ジュビリアムも宝石が無いからアクセサリーを売れず貧しくなるかぁ」

「ったく、酷い話だな」

「俺、女房の誕生日にジュビリアムのネックレス渡すつもりだったんだよなぁ。はあぁ……」

 アレンは話をしている二人の自警団員に近づく。

 そして、声をかけた。

「あの、すみません。そのお話、少し聞かせてもらえませんか?」

「ん? なんだ少年。興味があるのか?」

「はい。僕たち、ミネの村を目指すつもりで……」

「やめといたほうが良いと思うぞぉ? 今あそこは危険だぁ」

「ああ。俺たち自警団の仲間たちが敵わねぇんだ。お前みたいな子供が行っても、怪我するだけだぞ」

「でも、僕たちは……」

「話を聞かせてくれるだけで良いんだ。ミネの村の事、教えてくれないか?」

 アレンが何か言いたそうにしているのを見て、ジークが声を掛ける。

「ジーク……できることなら僕は、」

「気持ちは分かるけど、ちゃんと状況把握はするべきだろう?」

「……うん」

 アレンは真面目で誠実すぎる故に周りが見えなくなり危険に突っ込みがちなのをジークは長年の付き合いで知っている。

 ここで一度自分が止めてやらないと、きっと一人ででも民のために魔物退治にミネの鉱山へ乗り込むだろうと考えたのだ。

「んー、まあ話をしてやるだけなら良いかな。間違っても、解決するまでミネに行くんじゃないぞ?」

「ああ、分かってる」

 まあ行くけどな、と心の中で呟きながらジークは話を聞く。

「ここ最近、夜になると鉱山……まあ、詳しく言うと採石場のトンネルだな。そこから強力な魔物が出てきて毎晩村を襲うんだ」

「強力な……? ここら辺の魔物はあまり強くない筈だろう?」

「そうなんだけどなぁ……ソイツだけは桁違いに強いんだぁ」

「それで、俺たちクルティの自警団が魔物退治に協力してるって訳よ」

「でも俺達でも全然歯が立たなくてなぁ」

 そう言って一人は自分の腕にある傷跡をそっと撫でた。

「ミネの村にある薬ももう底につき、大きな怪我の治療はここに帰って来ないとできないような状態でさ」

「ここまで帰って来るまでに死んじまう仲間も居るんだぁ……」

「強力な魔物、夜にしか現れない、か……」

 ジークが考え込んだ、そんな時。

 カノンがひょこっと帰ってきた。

「お待たせしました!」

「ああ、お疲れ様。カノン。」

「? 何かお話してたんですか?」

 カノンはアレンとジークの顔を見て首を傾げる。

「ああ、次に行こうって言っていた村…ミネの村で強い魔物が出るって話でな」

「だから、行くのは危ないよって話をしていたんだ」

 二人が説明するとカノンは笑って元気良く言った。

「じゃあ、倒せば良いじゃないですか! だって私達は勇者一行なんですよ! それぐらい朝飯前ですよ!!」

 建物内にカノンのよく通る声が響き渡る。

 思わず二人は固まった。

 自警団も皆静まり返る。

 そして次の瞬間には自警団員達全員が大笑いし始めた。

「バカ言うんじゃないよぉお嬢ちゃん! お嬢ちゃんたちが勇者一行だってぇ!?」

「あの魔王を倒すという伝説の? こんな子供が!」

「まったく、寝言は寝ていうものだぜ!」

「本当だもん! 勇者様は、勇者様なんですから!!」

 様々な言葉にカノンは膨れ面する。

 ジークはやっぱりと言ったように苦笑し、アレンも困ったように苦笑している。

 アレンは分かっていた。

 自覚はあるのだ。

 勇者になるにはまだ自分は未熟すぎると。

 故に、何も反論はできなかった。

 誰にも認められなくて良い。

 認められなくても自分が勇者であることには変わりない。

 変えられない。

 勇者の血を引いているのだから。

 アレンはそう思っていた。

 すると、

「静まれーえいいい!!!!」

 鼓膜が破れそうなほどの大声が建物を揺らす。

 その大きさは、建物の屋根に止まっている鳥が驚いて飛び去る程だ。

 思わず皆が口をぽかんと開け声の主を見て黙り込む。

 声を発したのはダリグだった。

 ダリグはまっすぐにカノンに向かって歩いて来る。

「勇者と言うのは本当だろうな?」

「ええ、勿論本当よ! 彼は、新たなる勇者様、アレンよ!!」

「!」

 カノンはそう力強く言い放つとアレンを指す。

 アレンは一瞬ドキリとするも表情を引き締める。

 ダリグはアレンの瞳をまっすぐ見つめる。

「貴様が勇者か」

「はい。僕が勇者です」

 アレンも、ダリグの瞳をまっすぐ見つめ返し力強く告げる。

 アレンの青い瞳は、どこまでもまっすぐで、全く曇り無かった。

「僕は、勇者アレン。四十年前、魔王を倒した勇者ガイアの孫。そして、世界を、人々を救う者です!」

 そうアレンが言い放つと、ダリグは口角を上げる。

「ハッハッハ!! 気に入った、少年! お前の目は偽りのない綺麗な目をしている!! 気に入ったぞ!!」

 声を上げてダリグは笑う。

「だがな少年、勇者アレンよ! 貴様が勇者であろうと今ミネの村が危険な事に変わりはないのだよ!」

「分かっています! でも、僕たちは世界を救うために進まなければいけないのです!」

 ダリグはまた豪快に笑う。

 どこか、面白そうに。

「よし、ならば! 俺がテストをしてやる!!」

「テスト……?」

「ああ、表に出ろ、勇者アレンよ!」

 ダリグは笑いながら建物を出る。

「……アレン、大丈夫か?」

 それを見送ってから、追って外に出ようとするアレンにジークが心配そうに声を掛ける。

「うん、大丈夫。……信じてくれたみたいだし」

「そうか。よく言い切ったな。偉かったぞ」

 そう言ってジークはアレンの頭を撫でる。

 アレンは抵抗することもなく、撫でられると小さく

「ありがとう、行ってくる」

と言って建物から出た。

「あーあ、アイツも運が悪いな」

 自警団の一人が、アレンとダリグが外に出たのを見てから呟いた。

「……どういう意味だ?」

 ジークが声を低くして尋ねる。

「団長の言うテストは多分実践テスト、つまり戦闘だよ。あの子、怪我じゃすまないかもね」

「なっ……!」

 ジークは目を見開く。

 アイツの実力は知っている。

 幼い頃からずっと一緒に、血の滲むような訓練をしてきた。

 アイツはとても強くなった。

 でも、ジークはアレンが危険な目に遭うと思うと、もう気が気でなかった。

「あのオッサン、どれくらい強いんだ!?」

「オッサンってなあ……。まあ、ここら辺の魔物だと一捻りだな」

「!!」

 アレンもここら辺の魔物を倒すだけの実力はある。

 だが、それを一捻りするだけの実力者に勝てるかと言われると、確証は持てない。

「……お兄ちゃん、そんなに心配なら様子を見に行ったら?」

「あ、ああ……!!」

 それを見かねたカノンが言うとジークは建物から飛び出した。

「お兄ちゃん、本当に勇者様のこと好きなんだなあ……」

 クスッと笑いながら、カノンの兄の後を追って建物を出て行った。

 外ではアレンがダリグに訓練用の木でできた剣を渡されていた。

 数人の自警団員が住民を安全の為近くに入らないように通行止めをしている。

「俺が勝ったらお前はまだ勇者になるには未熟すぎる、諦めるんだな! だが、お前が勝ったら、ミネの村まで馬車で連れて行ってやろう! どうだ、悪い話ではないだろう?」

 確かに、徒歩では半日以上掛かる道のりも、馬車ならもっと早くに着く事ができる。

 魅惑的な話だった。

「本当に、僕が勝ったらミネの村まで連れて行ってくれるんですね?」

「ああ、約束しよう勇者アレンよ!」

「……分かりました。受けて立ちます」

 アレンは剣を構える。

 普段使っている鋼の剣より、ずっと軽かった。

 ダリグが訓練用の大きな木槌を構える。

 自分よりずっと大きな敵、大きな武器。

 しかしアレンは、負ける気はしていなかった。

 いや、負けられないのだ。

 前に進むために。

 この世界を、守るために。

「では……始めッ!!」

 自警団員の一人が叫ぶとアレンは風のように素早く攻撃をしかけた。

「はあッ!!」

 アレンが切りかかるとダリグはそれを木槌で受け止め軽々と振り払った。

「ッ!!」

 アレンの体は簡単に吹き飛ばされる。

 地に足を着き、踏みとどまって顔上げるとダリグの木槌はもう既に目の前に迫っていた。

「ウラァ!!」

「がッ……!」

 ダリグが木槌を振るうとアレンの体は簡単に宙に飛ばされる。

 そしてそのまま落下して背中を打ちつけた。

「ぐは!」

 今まで受けたことのない身が砕けそうな程の痛みに一瞬意識が飛びかけるが、無理矢理引き留めて立ち上がる。

 アレンが立ち上がると周りからは歓声が上がる。

 ダリグの一撃を喰らってすぐに立ち上がるなんて、並みの人間にはできない。

「! アレン!」

 ジークが駆け付けた時、アレンは次の攻撃をしかけていた。

 ダリグはまた木槌で受け止めようと構えたが、アレンはフェイントを掛け背後を取る。

「なっ!?」

「はあ!!」

 不意を突き渾身の一撃を叩き込む。

 ダリグはよろめくがすぐに立て直し、攻撃をし終えて無防備なアレンに拳を叩き込む。

「ぐぁ!!」

「アレン!」

 アレンの呻きと、ジークの悲痛な叫びが響く。

 アレンは拳の勢いで叩き飛ばされ近くの建物の壁に強く体を打ち付け倒れた。

「アレン!!」

「あ、ちょっと君!」

 ジークは自警団員の制止を振り切りアレンに駆け寄る。

「アレン、しっかりしろ! 大丈夫か!?」

「っ、うぅ……」

 ジークが呼びかけるとアレンは起き上がりコクリと頷いた。

「アレン、無理するな」

「大丈夫。……大丈夫だよ」

 アレンは立ち上がるとダリグを見据える。

 ダリグは一撃を受けたにも関わらず、ピンピンしている。

 来いよとでも言うように指をクイクイと動かした。

 アレンは構えると心配そうに見つめるジークに微笑みかける。

 そして、言った。

「心配しないで。僕は負けない」

 その顔を見るとジークはもう止められなくなってしまった。

 多分、俺が止めても無駄だろう。

 こうなったアレンは、止まらない。

「分かった。信じるよ、お前のこと」

 ジークの言葉にアレンはホッとしたようにまた目を細めた。

「アレン、アドバイスだ! ああいう振りがデカい相手は攻撃した後の隙をついて攻撃、すぐに離脱を繰り返せ。ヒット&アウェイってヤツだ。お前の身軽さならいける!」

 アレンの肩にポンと手を置き言うと、二ッと笑いジークは離れた。

「信じてるからな!」

「! ……うん」

 ジークが離れたのを確認し、アレンは身構える。

「ヒット&アウェイ……」

 攻撃を避け、その隙をついて叩く。

「そっちが来ないなら、こっちから行くぜ!!」

 ダリグは木槌を振り上げこちらに向かってくる。

 アレンはじっとそれを見つめる。

 木槌が振り下ろされたその瞬間、アレンは素早く移動しダリグの足に一撃を入れた。

「ッ、この!!」

 ダリグが次の攻撃をしかけようとした時には、既にアレンは攻撃範囲から離脱していた。

 攻撃しようとダリグが接近してくるのをアレンはまた見つめる。

 そして攻撃を素早く躱し、今度は背中に一撃を加える。

「よし、いいぞアレン!」

「勇者様、素敵!」

 完全に流れをアレンが掴んだ。

 攻撃を躱してこちらから攻撃、そして離脱して相手の隙を待つ。

 普段より武器が軽い分、身軽なアレンにとってそれをするのは簡単なことだった。

 疾風の如き動きで相手を翻弄する。

 ダリグも消耗してきて、あと一撃で倒せるといった時、最後の力を振り絞ってダリグが攻撃をしかけてきた。

 アレンはそれをしっかり見つめて、攻撃のタイミングを見極める。

 ダリグが木槌を振るう。

 その瞬間アレンは素早く攻撃を躱す。

 ……つもりだった。

「かかったな……!」

「な……!?」

 木槌は振るわれていなかった。

 ダリグは、アレンが最初の一撃を入れた時のようにフェイントを掛けたのだ。

「しまった……!」

「喰らえ!!」

 ダリグは予想外の事態に固まっているアレン目掛けて木槌を振り上げた。

「うわぁ!!」

 アレンの体はまたも簡単に宙に舞う。

「アレン!!」

「クッ…!」

 しかし、ここで諦めるアレンではない。

 空中で体勢を整え剣を構える。

 空中から攻撃しようというのだ。

 しかし落下しているところを狙われたら避けようがない。

「来い、とどめを刺してやろう!」

 そこを見逃してくれるほどダリグもお人好しではなかった。

 アレンを迎え撃つように木槌を構える。

「ダメ、このままじゃ勇者様が!!」

 カノンが思わず叫ぶ。

 けれど、ジークは静かにそれを見守っていた。

「大丈夫、アイツなら……勝てる」

 

 アレンが構えて落ちてくる。

 ダリグは、全力で木槌を振るった。

 次の瞬間。

「風の大精霊シルフよ我に力を! ウインド!!」

 アレンが叫ぶと不自然に強風が起こり、アレンの体をふわりと浮かび上がらせた。

 風の大精霊シルフとの契約で手に入れた、風魔法。

 アレンが隠し持っていた、切り札。

 それを発動させたのだ。

 木槌は虚しく空を切る。

 そして、

「はあああああぁ!!!!」

 アレンが全力で剣を振り下ろす。

 剣はダリグの脳天に直撃した。

 そのままダリグはグラリとよろけ、倒れた。

 アレンは着地して、それを油断せずに見つめる。

 しかしダリグが動く気配はない。

 自警団員の一人が駆け寄り、意識の有無を確認をする。

「……団長、戦闘の続行は不能! 勝者は、勇者アレン!!」

 確認をした自警団員が叫ぶと、その場は観客の住民や自警団員の歓声と拍手に包まれた。

 誰が想像しただろうか。

 この少年が、あの屈強な団長を倒すなど。

 割れんばかりの拍手に、アレンは照れたように笑う。

「アレン、よくやったな!!」

「勇者様、凄かったです!」

「二人とも! ありがと、ぅ……」

 ジークとカノンが駆け寄るとアレンはホッとした表情をしてフラッとよろけた。

「アレン!?」

 ジークが慌てて抱き留めるとアレンはその腕の中で静かに気を失っていた。

 緊張が解けて、限界が来たのだろう。

「アレン……よく頑張ったな」

 ジークはそんな眠るアレンを誇らしく思いながら、そっと頭を撫でてやるのだった。

 

「ん、ぅ……」

 アレンが目を覚ますと、ジークとカノンの覗き込む顔が目に飛び込んだ。

「アレン! 目が覚めたか」

「勇者様! よかった……!」

「あれ……? 僕は……」

 見覚えがあるような、ないような、そんな部屋。

 周りを見てアレンは記憶を手繰り寄せる。

 そうだ、自分は今日、勇者として旅立った。

 ミネの村に行くために、クルティの町の自警団の団長ダリグとテストと称した戦闘をして、勝利したのだった。

 そして、気を失った……。

 それから自分が目を覚ますまで傍に居てくれていたのだろうか。

 そう思うと申し訳なさでいっぱいになった。

「ごめんね、二人とも。心配掛けて……」

「いや、問題ないさ。それより、無事に目を覚ましてくれて安心した」

「そうですよ、謝ることないです! ね?」

 眉をハの字にしているアレンに、兄妹は微笑む。

 それを見てアレンも安堵してように微笑んだ。

「うん……ありがとう」

 そこへ……

「おはよう、勇者殿!!」

 ノックする事もなく豪快に扉を開いた。

ダリグだ。

 彼が物凄い勢いで扉を空けたのだ。

 思わず驚いて、三人全員の肩が跳ねる。

「ハッハッハ! そんな驚かんでも良いではないか!」

「いや普通にびっくりするぞオッサン……」

「オッサンじゃない! 俺はダリグだ! ダリグ団長と呼べ!」

「はいはい団長……」

 渋々ジークが呼ぶと、ダリグは満足げに笑った。

 そして、アレンに向き合う。

「さて、勝利おめでとう勇者アレン殿。俺を倒すとは……見縊っていた無礼、赦してほしい」

 ジークに向けた笑顔からは打って変わって申し訳なさそうに深々と頭を下げた。

「そんな、気にしていません。顔を上げてください。自分も、まだまだ未熟な自覚はありますし……」

「勇者殿……」

「けれど、僕達は立ち止まるわけにはいかないんです。魔王を倒す為に。世界に、平和を取り戻すために」

 アレンは優しく、けれど力強く語った。

「勇者殿……!」

 ダリグは胸を打たれたように目を潤わせる。

 そして、目頭を拭うと、膝をつき言った。

「勇者殿、約束をお守りします。明日、ミネの村への馬車を出しましょう」

「団長さん……ありがとうございます」

「やったぁ! やりましたね勇者様!」

「うん!」

「しかし!!」

「!?」

 このダリグ、いちいち声が大きく、声を上げる度に三人は驚いてしまう。

 それを見てまたダリクは豪快に笑った。

「ハッハッハ!! そんなに驚かんでも」

「だから驚くってのオッサ……いや、団長!!」

「ハッハッハ!!」

「でも、何が「しかし」なんですか?」

 まるで漫才のようなダリグとジークのやり取りをスルーして、アレンは恐る恐る問い掛けた。

「おお、そうでした! 馬車は出しますしミネの村までお届けしますが、危険なことに変わりはないので貴方達がミネの村を発つまで俺も同行させてもらいます。……宜しいですな、勇者殿?」

 アレンは迷うこと無く首を縦に振った。

 別に断る理由もないし、何より旅を始めたばかりの自分達にとって、戦闘慣れしている同行者はとても有難いからだ。

「勿論、とても心強いです。ありがとうございます」

 出発は翌日の早朝。

アレンはその時気付いていなかったが、アレンが目を覚ましたのは夜遅くだったのだ。

 外の空気を吸いに行った時、日が落ちていた事に驚いたアレンの顔がおかしくて、ジークは思わず笑っていた。

 その夜は皆疲れたのだろう、ぐっすりと眠った。

 夜まで気を失っていたアレンも、ジークとカノンの後に、すぐに眠りに落ちた。

 そして朝、目が覚めると三人は出発の準備を始めた。

 ここからは行ったことのない、未知の世界だ。

 三人は、不安と期待に胸を膨らませていた。

「御一行! そろそろ出発しますぜ!」

 ダリグに声を掛けられ三人は馬車に乗り込む。

「忘れ物はないですかぃ?」

 ダリグも馬車に乗り込み三人に声を掛ける。

「はい、大丈夫です」

「ああ……全部あるな」

「オッケー! 大丈夫!!」

「よし、じゃあ出発!」

 ダリグは言うと、馬の手綱を握り馬車を発進させる。

 三人は、クルティの町を暫く振り返っていた。

「……さよなら。また、必ず帰って来るね」

 アレンが小さく呟くと、ジークとカノンも力強く頷いた。

 三人は前を見る。

 もう、振り返ることは許されない。

 進み続けるしかないのだ。

 この世界を、救うために。