昨日敵との接触があったとはいえ、ゆっくりと遊んだ3人の足取りは軽かった。

 町を出て、穏やかな草原を通る道を往く。

 端々に花が咲き、蝶が飛び、今までの旅の道の中でも美しく進みやすかった。

 途中出て来る魔物達は今までよりも強いものになってきたが、経験を積んだアレン達が倒せないものでは無かった。

 消耗してもこの道を通る旅人向けに作られた店や宿あり、あまり心配する事は無い。

 勢い良く進んで行く。

 そして数日後の夜には、予定より早くデルモルト村に到着していた。

 夜でも多くの旅人が行き交い、村には活気が溢れている。

 仲間を集う酒場からは大きな笑い声が聞こえ、多くの店もまだ営業しているようで明かりが灯っている。

 アレン達のように夜に村に着いたり、夜に出発しなければいけない旅人への配慮のようだ。

 早速パーティはフーカに言われたコネクの酒場に向かった。

 この村の中でも特に大きな酒場で、中からは陽気な音楽も聞こえてくる。

 中に入り、シルフがカウンターのバーテンダーに声を掛ける。

「すまない、フーカから紹介された者なのだが」

 シルフの言葉にバーテンダーは首を傾げる。

「勇者ご一行、ですか? 既に勇者様ならいらっしゃっているのですが……?」

 バーテンダーの言葉にパーティも首を傾げる。

 勇者が他に居る……?

 そんな筈はない、勇者はアレン以外居ない筈だ。

 誰かがきっと騙っているのだ。

「すまないが、我はフーカの父親でね。我が言うのだからこちらの方が信用は出来るんじゃないか?」

 シルフの申し出にバーテンダーは益々混乱した。

「じゃあ、あの方は……?」

 バーテンダーはカウンターに座る1人の青年を見やった。

 表情は赤い髪で隠され見えない。

 しっかりと筋肉が付いた逞しい身体をしており、様々な傷跡がある。

 若くもベテランの冒険者なのだろう。

 けれど、何故勇者を騙ったのか……。

「あの、すみません」

 恐る恐るアレンが声を掛ける。

 すると伏せられていた瞳がこちらを見た。

「何、かな?」

 青年はキョトンとしたまま首を傾げる。

 青い瞳と青い瞳がぶつかった。

 とぼけるような青年の態度が、少しもやもやする。

「貴方が、勇者なんですか?」

 アレンの問い掛けに青年は頷いた。

「うん、そうだよ。俺はレオン。勇者ガイアの孫、勇者のレオン」

 レオンと名乗った青年は、悪びれる様子もなく微笑む。

 アレンは自分の立場を騙る偽物の勇者への嫌悪感で眉を顰める。

 若干強い口調で、責めるように言った。

「僕は、アレン。勇者ガイアの孫、勇者のアレン。君は、本当は何者なんだい?」

 その言葉にレオンは目を見開いた。

「アレン……勇者ガイアの孫? まさか、君は……アイリス?」

 本名を呼ばれてアレンは息を呑む。

「どうして……」

 どうしてその名を知っているんだ?

 そう尋ねようとしたが、それは遮られた。

 レオンがアレンをきつく抱きしめたからだ。

「良かった、無事だったんだ!」

 愛おしそうに髪を撫でられ、アレンは完全に硬直した。

 黙って話を聞いていたジークとカノンも驚き慌てて介入する。

「おいお前、何してやがる!」

 怒鳴るジークを見て、レオンはまた目を丸くした。

「君、もしかしてジーク君!? わあ、大きくなったね!」

「お兄ちゃんの事も知ってるの!?」

 カノンが言うとレオンは頷いた。

 アレンの髪を今一度大切に撫でると、抱き締める腕を解く。

 そして、改めて3人に向き直り、言った。

「俺はレオン、勇者ガイアの孫。そして、アイリス。君の従兄だよ」

「……え」

 えええええぇ!?

 3人は大きな声を上げる。

 勇者の生き残りはアレン1人だとずっと思っていたのだが……

 3人の大声を聞き、バーテンダーと話をしていたシルフが寄って来た。

「! お前は……」

「あ、シルフさん! お久しぶりです、覚えてる?」

 シルフの姿を見ると、レオンは白い歯を見せてニカッと笑う。

「お前、生きていたのか……そちらの町は焼かれて、生存者は居ないと聞いていた。便りも届かなかったそうだし……」

「うん、町は無くなっちゃったし、父さん達は死んじゃったからね。俺だけ父さんに言われて隣町に逃れていたんだ。そっちの村も襲われて、もう皆死んじゃったって聞いたよ」

「そうか……確かに、多くの人が死んだよ。ニイスとアメリアも……」

「叔父さんと叔母さんも……そっか……」

 シルフの言葉に、そっとレオンは目を伏せる。

「だが、この子だけは我と共に生き延びたのだ。……お前も、よく生きていてくれた」

「うん、ありがとう。そちらこそ」

 シルフはレオンの肩を力強く叩いた。

 レオンも顔を上げ、それに応えるように頷く。

「シルフ、知り合いなの……?」

 アレンが恐る恐る訊くと、シルフはそちらに振り向く。

「ああ。アレン、ジーク。お前達は会った事がある筈だぞ」

 シルフに言われて2人はえっ、と声を漏らす。

「そう、なのかい……?」

「全然覚えてねぇ……」

「アハハ、あの時アイリスは生まれたての赤ん坊だったし、ジーク君も確か1歳だったからね」

 懐かしそうにレオンは目を細める。

 そして、何度も何度も、無事で良かったと言葉を零した。

 再会を心から喜んでいるようだ。

「ねえ、アイリス」

「あの、その名前は……」

「ん?」

 首を傾げるレオンに、アレンは困ったように苦笑する。

 レオンの服の裾をちょいちょいと引っ張り、酒場を出て、人気の無い場所へ連れて行く。

 驚きつつも着いて来てくれたレオンに今までの事を話した。

 10年前に祖父が失踪し、その後村が襲撃を受け両親が殺された事。

 自分だけシルフと契約を結び、生き残った事。

 性別と名前を偽り、ジークとカノンと旅をしている事。

 レオンも物わかりが悪い訳では無いようで、話を聞き呼び方をすぐ訂正してくれた。

 そして、レオンも自身に起きた今までの事を話してくれた。

 レオンの父親は、アレンの父ニイスの兄だ。

 レオン達家族はベリタリューテのとある町で暮らしていた。

 しかし10年前、アレン達と同じように町を襲撃され家族を失った。

 レオンだけは父親のおつかいで隣町に出掛けており、無事だったらしい。

 今思えば、父親は何かに勘付いて自分を逃がしてくれたのかも知れないと、レオンは語る。

 それから修行を積み、一人前になってから魔王討伐の旅に出た。

 しかし、数年経った今も、魔王には辿り着けていない。

 それだけ壮絶な旅なのだろう。

 話を聞き、アレン達は生唾を呑み込んだ。

 その様子を見て、レオンは小さく息を吐きアレンに向き直った。

「アレン。勇者である君に、話さなきゃいけない事があるんだ」

「僕に……?」

「うん」

 そこまで言うと、レオンはジークとカノン、そしてシルフを振り返る。

「ごめん、これは勇者であるアレンにだけ話したいんだ。席を外してもらえないだろうか」

 ジークは反対したい気持ちを抑え頷いた。

 勇者の血筋だからこその話なのだろう。

 血の繋がりの上では、自分達は部外者に過ぎない。

「どうして? 私達だって一緒に旅をしている仲間で……!」

 そう食い下がろうとするカノンの首根っこをジークは掴む。

「ちょ、ちょっと!? お兄ちゃん!?」

「ほら、行くぞカノン。シルフも」

「ああ」

 カノンを引き摺って行くジークを追って、シルフもそこから離れた。

 それを見送ってから、レオンはアレンに背を向ける。

「ありがとう。……アレン、行こう」

「……うん」

 一歩踏み出す、がすぐにレオンは足を止めた。

「……君も、席を外してくれ」

「え……?」

 突然発せられたレオンの言葉に、思わずアレンは首を傾げる。

 アレンの抜けた声を聴いて、レオンは振り返って苦笑した。

「いや、なんでもないよ。さて、行こうか」

 改めて歩き始めるレオンを追いかけて、アレンも不安げに歩き始めた。

 ……その時、誰かとすれ違ったような気がしたのは、何故だったのだろう。

 その時のアレンには、分からなかった。

「お兄ちゃん、良いの!? 初対面の男と勇者様を2人きりにして!」

「良いんだよ、親戚だろ! な、シルフ?」

「ああ、確かに彼はアレンの従兄だ。もう死んだと思っていたが……」

 アレン達と別れ、ジーク達はコネクの酒場のカウンターに座っていた。

 酒場と言っても、ジークとカノンは酒が飲めないので葡萄ジュースで格好付けていて、ワインを嗜んでいるのはシルフだけだが。

 3人共アレンが気掛かりなようでソワソワしている。

 レオンが信じられないと言う訳では無いのだが……。

 それだけ皆アレンを大切に思っているのだ。

 付き人として守る対象だという前に、大切な仲間として。

「まあ、そうカリカリするな。アイツは良い奴だよ、我の記憶が正しければな」

 グラスをクイッと傾け、それを置いたシルフが言った。

 カノンは唇を尖らせつつも、頷く。

 ジークは何も言わず、頬杖を突いていた。

 暫くして、夜も更け、少しずつ人が帰って行く。

 アレンとレオンはまだ話しているようで、戻ってくる気配は無い。

 退屈で欠伸をするジーク。

 カノンは既にカウンターに突っ伏して夢の中だ。

 シルフはバーテンダーと話し込んでいる。

「アレン……遅いな」

 ジークがポツリと言葉を零す。

 その次の瞬間だった。

 ドカンッ、と大きな爆発音。

 次いで、人々の悲鳴が村に響き渡った。

「っ!? 何、どうしたの!?」

 音に驚きカノンも目を覚ます。

 シルフは素早く反応し、既に酒場から飛び出している。

 ジークもその後に続いて飛び出した。

 外を見ると、村の一部から火が出ていた。

「何だ、魔物の襲撃か!?」

「おい、火を消すぞ!」

「女子供は早く避難させろ!」

 村人や旅人達が消火活動に当たり始める。

「火事……!? 私達も手助けに行こう!」

 カノンが駆け出す。

 シルフも頷き後に続いた。

 ジークだけはアレンが気掛かりで躊躇ったが、そうも言っていられない。

 きっと、困っている人を放っておけないアレンの事だ、後から来るに違いない。

 そう自分に言い聞かせ、走り出した。

 

「……と、言う訳なんだ」

 爆発が起きる直前、アレンとレオンは教会の鐘の傍から村を見下ろしていた。

 村の賑やかさも何処か遠く、静かに穏やかに、風が流れていく。

 星が、真っ暗な夜空を飾り煌めいていた。

 勇者であるアレンに伝えるべきこと話し終えて、レオンは一息吐く。

 アレンはその内容の衝撃で、何も言えず俯いていた。

「……俺は、勇者としての役目を、放棄しようと考えている」

「えっ……」

 静かに、しかし意志の籠ったレオンの言葉に、アレンは顔を上げた。

「だって、こんなのおかしいと思わないか? 血に囚われ続けて、自分の運命まで決められて。俺はそんなの嫌だ。自分の道は、自分で決めたい」

 レオンの眼差しは、真剣その物だった。

 勇者の子孫に生まれたから魔王を倒し、世界を救う。

 血に囚われ続ける自分とは正反対の、強い意志。

 アレンはその意志に心を貫かれたような気がした。

「……君は、どうしたい? この話を聞いても、まだ魔王を倒したいと考えるかい?」

 レオンにとっては真っ直ぐな意見でも、アレンにとっては悪魔の囁きのようだった。

 自分が正しいと思っていた道から、外れる選択なのだから。

 アレンは少し考え、顔を上げ、そして口を開く。

「たとえそれが運命だとしても……僕は、魔王を倒したいです。世界を、救いたいんです」

 2人の勇者の視線がぶつかる。

 暫くして、レオンがふっと笑った。

「君は、本当の意味で勇者なんだね」

「えっ、それはどういう……?」

「うぅん、何でもない。じゃあ、後の事は君に頼もうかな」

 笑みを浮かべたままレオンは言う。

 アレンは意味ありげなその言葉と笑顔に困惑する。

 意味を問おうとするが、それを遮りレオンが言う。

「スィーアに着いたら、魔王城に行く前にヒラゼブ山の頂にある神殿を訪ねると良い。そこで、新たな力を授けて貰える筈だよ」

「は、はい……」

 釈然としない表情だが、素直に頷くアレン。

 それを見てレオンも目を細めた。

 そして、その時が訪れた。

 突然、大きな爆発音が空気を震わせる。

「!?」

「何だ……!」

 2人は慌てて音が鳴った方向を見る。

 すると火が上がり闇夜を赤く照らしていた。

 息が詰まるのを感じて胸元に手を置くアレン。

 レオンはそんなアレンを残し、すぐさま階段を駆け下り教会を飛び出した。

 それを見て、アレンも大きく息を吐くと続いて飛び出す。

 教会の前の通りは、既に多くの人の波が押し寄せていた。

 炎から逃げ惑う人々とは反対に、2人は炎に向かって駆ける。

 現場に着くと、様々な姿形の魔物達が村を襲っていた。

 見覚えのある光景に、アレンは思わず目を見開く。

 そう、幼い頃、自分達の村が襲われたあの夜の……

 思考に耽っていると、次々に火矢が放たれまた家屋に燃やしていく。

「このままじゃいけない。アレン、魔物を倒すよ!」

 レオンが叫び背中に背負っていた槍を手に取る。

 その声に意識を引き戻され、アレンも剣を握った。

 敵を切り捨て、薙ぎ払い、次々と倒していく2人。

「アレン、レオンさん!」

「お2人とも、ご無事で!」

「! 皆!」

 そこにジーク、カノン、シルフも駆けつけ加勢した。

 追い風に乗ったように次々と魔物を退治していく。

 シルフも自慢の風魔法で火を消していく。

 火事も収まりかけ、魔物の数も減り、あと一押しと言う、その時だった。

「おりゃあああ!」

「!」

 アレンの頭上から、突然の強襲。

 気配を感じ取り、慌てて飛び退くアレン。

 すると、武器を構えた何者かがアレンが居た箇所の地面を抉った。

「何者だ!」

 アレンが剣を向け叫ぶ。

 人物は地から大きな斧を引き抜き、立ち上がる。

 左肩に付けられた黒い宝石は炎を反射して鈍く光り、指に装着した鎖はジャラジャラと派手な音を鳴らす。

 鬣のような金の髪の隙間から覗く黒い瞳は、爛々と獲物を見据え輝いていた。

「よお、久しぶりだなぁ? 勇者サマよぉ……」

「っ!?」

 アレンはその声に目を見開く。

 忘れられる訳が無い、あの声……。

「お前は、傲慢のプライド……!?」

 ごんマンのプライド。

 10年前のあの夜……父と母を、沢山の村の人々を殺めた張本人。

 自分から、多くのものを奪い去った、憎き宿敵。

 10年前とは姿が変わっているが……間違えるはずがない。

 燃え盛る村とその姿が、あの夜の景色と重なって。

 剣を握るその手は、痛々しいほどに震えていた。

 ふつふつと、何かが心の中で湧き上がる。

 その様を嘲笑うかのように、プライドは口角を上げた。

「まだ生き残っていたとはなぁ。驚いたぜ、勇者サマ? まあ、落ち着けよ。此処も、10年前のあの日と同じようにしてやるからさ」

「は?」

 その言葉に、アレンの中で何かが切れたような気がした。

 10年前と、同じ……?

 突然、思考が停止する。

 何かが、思考を巡らせることを邪魔しているようだ。

 そして村を燃やす炎のように、とある感情が自分の心を飲み込まんとする。

 アレンはそれに抗えない。

 心と思考を、コントロールできない。

 『怒り』という感情に、全てが飲み込まれていく――。

「……許さない、お前だけは!!!」

 その怒りのままに叫び、アレンはプライドに斬りかかった。

 抑えれない怒りを剣に込め、ひたすらに振るう。

 プライドはそれを身軽に躱し、受け止め、押し返す。

「おい、アレン! 落ち着け!」

 尋常じゃないアレンの様子を異常に感じ、ジークが叫ぶ。

 だが、アレンの耳には届いていない。

 声だけじゃない。

 周りの人々も、光景も、何もかも、アレンには届いていない。

 今、アレンに見えているのは、怒りと、その矛先であるプライドだけ。

 思考せぬ故、斬り筋は感情的で単調な物になる。

 プライドは簡単に見切ってそれを避ける。

「お前が、父さんと母さんを!」

「何言ってるんだ? お前を守って死んだんだから、お前のせいじゃねえの?」

「黙れ!」

 加減を忘れた剣が地に振り下ろされた。

 プライドはそれを茶化すように笑う。

「外れ~! 最強の俺様にそれが当たるとでも?」

「貴様!!」

 その声に鋭く睨み付けると、また大きく剣を振るう。

「くそ、アレン! 落ち着けって!」

 ジーク達も止めようとするも、振り回される剣が危険で近付けない。

 指を咥えて見ている事しか出来なかった。

 ――『怒りは、人の心を飲み込む力がある。怒りに支配された者程、愚かで弱い者は居ない』

「……!」

 カノンが何かを感じ取った。

「カノンちゃん、どうしたの?」

 レオンがそれに気付き声を掛ける。

 カノンは眉を顰める。

「闇の魔力を感じるの……まさか、勇者様に!?」

「!」

 それを聞きレオンはアレンを振り返る。

 確かに、あの穏やかな物腰のアレンからは考えられない怒りようだ。

 何かに操られているとも思える程に。

 レオンはこの状態に覚えがあった。

「まさか……ウラースが……?」

「ウラース? 何だそれは!」

 ジークが訊くと、レオンは早口で答えた。

「魔王直属七天皇の1人、『憤怒のウラース』。人の怒りを操る事が出来るんだ! まずいよ、このままだとアレンが!」

 レオンが何とかしようとプライドに攻撃を仕掛ける。

「あ? おいおい、なんだよ。外野が五月蝿いなあ?」

 それに気付きプライドは左手の中に闇の塊を作り出す。

「何、この魔力……!? レオンさん、気を付けて!」

 闇の魔力を感じ取ったカノンが叫ぶ。

 しかし、遅かった。

 戦闘を止めようと槍を振り上げたレオンの腹に、その闇は撃ち込まれる。

 高威力の魔法を受け、レオンの身体は吹き飛ばされて地面に叩き付けられた。

「ガッ……!」

「折角因縁の対決ってヤツを楽しんでるんだからさ、邪魔するんじゃねえよ」

 レオンを見下ろし言うと、次いで攻撃を仕掛けて来たアレンの剣を受け止めた。

「レオンさん!」

 慌ててカノンがレオンに駆け寄り、治療を開始する。

「ごめん、ありがとう……」

 治療を受けながら顔を上げると、息も絶え絶えになりながらも剣を振るい続けるアレンが居た。

「なあ、レオンさん……このままだと、アレンはどうなるんだよ……?」

 不安げに、ジークは問いかける。

 レオンは苦い顔をして、アレンを見つめながら言う。

「今のアレンは、ウラースの闇魔法で怒りに支配されている。怒り以外の感情も思考も消え失せ、その怒りのままに行動している……きっと、僕達のことも見えていない」

「そんな……!」

 カノンも悲しげにアレンを見つめる。

「このままだと、何かを失うことや傷つけることにも気付けず、ただ怒りのまま戦うだけの存在になってしまうかも知れない」

「何とかならないのか!?」

 焦るジークの声に、レオンは思わず唇を噛んだ。

「分からない。支配している怒りよりも強い刺激を与えたら正気に戻るかも知れないけど……その刺激にアレンが耐えられるかどうか……」

 思わず目を伏せるレオン。

 そんなレオンに、静かにカノンは問いかけた。

「……耐えられなければ?」

 小さく息を吐き、レオンは答える。

「心が、壊れてしまう可能性がある」

 その言葉にジークとカノンは息を飲む。

「心が壊れるって……!?」

「それってどういうことですか!?」

 焦りを隠せない彼らを余所に、アレンは剣を振るい続ける。

 しかし、疲れで動きが鈍ってきたアレンにプライドは退屈そうにし始めた。

「なんだ、勇者ってのもそんなもんか。つまんねー」

 そう言うと、プライドは掌に闇の力を凝縮させる。

 アメリアの命を奪った、あの魔法だ。

「何、この魔力は!? さっきよりも遥かに強い……!」

 あまりの魔力の強さに、カノンが振り返り目を見開く。

「! 駄目だ……! それだけはさせない!!」

 レオンは満足に回復もしないまま、咄嗟に駆け出した。

 アレンはプライドが魔法の発動準備をしているのにも気付かず大きく剣を振るった。

 プライドはそれを容易に躱す。

 当てる目標を無くした剣に重さに振り回され、アレンが大きく体勢を崩した。

「お前も両親の所に送ってやるよ、喜べ!」

 無防備なアレンに闇魔法が放たれる。

「アレン!!」

 ジークがその名を叫び、カノンも悲鳴を上げる。

「死なせない……!! 彼だけは、本当の勇者だけは!!!」

 レオンが手を伸ばす。

 魔法がぶつかった。

 その衝撃から土煙が上がり、視界を覆う。

 アレンの命運は、誰も分からない。

 皆が息をするのも忘れて視界が晴れるのを待った。

 次第に、土煙が収まり始める。

 見ると、アレンは無傷だった。

 しかし……その目の前に立っていたのは、傷だらけのレオン。

 彼は身を挺して、アレンを庇ったのだ。

 静寂に包まれる中、パタリと音を立てて、倒れた。

「……え」

 アレンはそれ以上の声が出なかった。

「おい……嘘だろう……!」

「レオンさん!」

 ジークとカノンがレオンに駆け寄る。

「! レオン!」

 轟音を聞いてシルフも駆けつける。

 アレンはそれをぼんやりと見ている事しか出来ない。

 カノンが慌てて治癒魔法を掛ける。

 けれど、カノンの魔力では間に合いそうになかった。

「早く、治ってよ! 治りなさいよ!! 嫌!!」

 泣き叫びながら全力で魔力を集中させる。

 しかし、無慈悲にもレオンは衰弱していく。

 辛うじて保っている意識で、レオンは力なく笑った。

「あはは……最期くらい、勇者らしい事、出来たかな……」

「喋るな! 最期なんて言うんじゃない!」

 レオンの言葉に、ジークは声を荒げる。

 薬での回復を図るが、それすら叶わないほどもう限界で。

 それでも、レオンは弱々しく笑っていた。

「良いんだ……それより、皆はちゃんと、アレンの事守ってよ。折角、守った命なんだから……世界の、最後の希望だから……」

 その言葉にシルフは胸が苦しくなった。

 傷口から流れる血が止まらない。

 だんだん、身体が冷たくなっていく。

 ……なんだか、とても寒い。

 ああ、君もこんな風に感じていたんだね……。

 遠のく意識のさなか、思ったのは先に逝った恋人の顔。

「メイ、今……傍に逝くから、ね……――」

 レオンの目が、閉じられた。

 息が――止まった。

「嘘……嫌ああああぁ――ッ!!!」

 カノンが泣き叫ぶ。

 ジークは悔しそうに自分の足を拳で殴った。

 シルフも、下唇を強く噛んでいる。

「ッ……ハハハハハ!!! 死んだ死んだ! 勇者が1人減ったぞ! ハハハハ!!!!」

 レオンが息を引き取ったのを見て、プライドだけが大声で高らかに笑った。

 先程怒り狂っていたアレンだが、まさかの展開に感情が追い付かず立ち尽くしている。

 そんなアレンに不快な視線を向け、プライドは言い放つ。

「お前が、殺したんだぜ、勇者サマ?」

「え……」

 青ざめた顔を上げ、プライドを見る。

 憎くて堪らない筈のその顔を見ても、何も感情が浮かんでこない。

 ただ、「お前が殺した」と言う言葉だけが、真っ白な頭の中で反響している。

「お前があんな愚かな行動をしなければ。お前が仲間の言葉に耳を貸していれば……」

 まるで演劇の役者のように大袈裟に演じながら、プライドは言葉を突き刺す。

「そこの男は、死ななかったかも知れない……」

 また、言葉の刃がアレンの心に傷を付ける。

「やめろ……」

「お前に力があれば、救えたかもしれない……」

「やめろ…………」

「あの時と……10年前のあの日と同じだな」

「やめろ!!」

 言葉から逃げるように、アレンは剣を握りプライドに切りかかった。

 しかし、意志の力を無くしたアレンの攻撃など、相手を傷つける力もない。

 プライドは避ける事も無くアレンの手首を掴んだ。

 軽く捻ってやれば痛みに声が零れ、その手は握る力を無くし、剣が落ちる。

 手首を引き寄せ、耳元で囁く。

「自分の母親も、従兄も、お前が殺したんだよ。勇者サマ?」

 その言葉に、何もかもが崩れるような音がした。

 怒りの炎が掻き消え、目の前が、心が、闇に塗りつぶされていく。

「僕が……殺した…………」

 手首が離される。

 支えられる力を失ったアレンは、その場に座り込み動けなくなった。

「アレン……!? おい、アレン!」

 アレンの様子に気付いたジークが、アレンに駆け寄る。

 しかしアレンは反応を示さない。

 肩を抱き揺すっても、虚ろな瞳でぼんやりと虚空を見つめている。

「アレン、しっかりしろよ! アレン!」

 ジークが揺するが、やはり反応しない。

 その様子を見下しながら、プライドは鼻で笑う。

「ハッ、上手くいったようだな。いや~、流石俺サマ! 1人は死んで、1人は心が壊れて……勇者2人共始末しちゃったよー!」

 その言葉にジークはプライドをキッと睨み付けた。

 しかし、その視線はすぐ他に向けられる事になる。

「もう、バカ言わないでよ」

 呆れたような、幼い少年の声。

 その声の出所である背後を振り返る。

 そこにはムスッとした顔をした、小さな少年が立っていた。

 レースやフリルが使われた小さなシルクハット。

 胸元には大きなリボン。

 両耳で赤い宝石の耳飾りが光りながら揺れる。

 中性的なその少年は、プライドに歩み寄っていく。

「僕が魔法で勇者の心を操ったからこその勝利だよ? 分かってる?」

「あー? 何だよウラース。まーた、いちゃもん付けるのか?」

 プライドがウラースと呼んだ少年は、頬を膨らませる。

 ウラース……レオンが言っていた、魔王直属七天皇の1人。

 アレンに闇魔法を掛け、怒りでその心を支配した張本人。

「お前が……!」

 ジークが剣に手を掛ける。

 しかし、その少年――ウラースは気にする様子もない。

「大体! 君はいっつもそうやって自分だけが偉いみたいに! 馬鹿じゃないの!?」

「あぁ? 俺がああ言ったから勇者を倒せたんです~。おこちゃまは黙ってろよ」

 彼の意識はジークでは無く、完全にプライドに向いていた。

 プライドも同じく、ウラースにしか意識が向いていない。

「大体君が手を組もうって言って来たんじゃん! 作戦考えたのも僕だし!」

「アーアー聞こえなーい」

「喧嘩売ってんの? 良いよ買うよ? ケッチョンケッチョンのボッコンボッコンにしてあげる!!」

 2人は目の前に居るジーク達には目もくれず、言い争っている。

 挙句の果てには、武器を握り喧嘩が起こりそうだ。

 確か、レオンが言うにはウラースは人の怒りを操る事が出来た。

 怒りを操るという力を持つ故に、怒りっぽいのかも知れない。

 ジークは背後でレオンを抱えているカノンとシルフを振り返った。

 2人も困惑した顔で見つめ返して来る。

 あちらが仲間割れしてくれるなら、それは好都合だ。

 戦闘不能なアレンとレオンを抱えて戦うのは困難である。

 

 争っている間に、パーティは一旦そこを離脱した。

 

 「俺サマの力になれたんだから素直に喜べよ、このチビ!」

「君は本当に馬鹿だね! 自分だけが一番偉いと思ってるの? 哀れで仕方ないね!」

「何を!」

 一行が離脱したのにも気付かず、プライドとウラースは互いを罵倒し合いながら武器を振るう。

 その力は凄まじく、大鎌と斧が交わっただけで衝撃が空気を揺り動かした。

 2人の戦闘で、辺りの建物は殆ど崩壊している。

 誰も、2人の大喧嘩を止めれなかった。

 どうしようかと村人が戦いの行方を見つめていた、その時。

「いい加減にしなさい!」

 振り下ろされる鎌と斧。

 それを同時に受け止める波打った刃、フランベルジェ。

 炎のような戦いを受け止めたその人物は、エンヴィーだった。

「貴方達、またやってるの?」

「ちょ、ちょっとエンヴィー! 危ない事しないでよ!」

「オイオイ、邪魔すんなよ!」

 慌てて武器を退けるプライドとウラース。

 突き付けられる刃と力が消え、エンヴィーは溜息を吐いた。

「まったく、貴方達は……勇者は? どうしたの?」

「どっちも俺が倒した!」

「馬鹿言わないで」

 エンヴィーの問いに自信満々で答えるプライドに、ウラースは冷たく反論した。

「何だとお前!」

 怒鳴るプライドを無視して、エンヴィーはウラースに視線を向けた。

 その視線を感じ取り、ウラースは言う。

「炎の勇者は確かにプライドが殺したよ。風の勇者は……まだ息の根は止めてない」

 それにエンヴィーは呆れ顔だ。

「勇者を倒さずに、貴方達は喧嘩してたって訳? 馬鹿なの?」

「「だってコイツが!!」」

 エンヴィーの言葉にプライドとウラースは同時に反論する。

 それにまたエンヴィーは溜息を吐いた。

 しかし、ウラースはフッと不敵に笑った。

「でもねエンヴィー。風の勇者の心は壊したよ」

 それに対し、エンヴィーは表情を変えた。

「……それは本当?」

「うん、本当。それも哀れなくらい、完膚無きまでにね。だからきっと、もう心を取り戻すことはできないさ。勇者は、消えたんだ」

 それを聞き、エンヴィーはニヤリと口角を上げた。

 そして、ウラースの頭を優しく撫でる。

「良くやったわ、貴方達。もう、勇者は消えた……フフフ」

 その表情は、先程とはまるで別人だった。

 野望が叶ったように、醜く欲に塗れた笑みを浮かべている。

 それを見て流石のウラースも顔を引き攣らせた。

「勇者が消えたならそれで良いわ。2人共、帰りましょう」

 そう言うとエンヴィーは2人に背を向ける。

 その足元に魔法陣が浮かび上がり、闇に包まれると次の瞬間には姿が消えていた。

「あ、待てよエンヴィー! 俺サマの話聞けってー!」

「はいはい、帰ってから聞いてもらえばいいだろう? 行くよ!」

 それを追ってウラースとプライドも闇に包まれ消える。

 残されたのは、燃え落ち破壊された村と、途方に暮れる人々だった。

 

 動かないアレンとレオンを背負い、ジーク達はコネクの酒場へ逃げ込んだ。

 その間、ジークは何度もアレンの名を呼んだが、やはり返事は無い。

 レオンも既に息をしておらず、体温が失われていた。

 カノンがそっと頬に触れると、自分との温度差にその生が失われたことを実感する。

「そんな……折角、血の繋がった方と会えたのに……」

 震える瞳から、雫が零れる。

 シルフも拳を震わせていた。

 ジークはその様子を見てから、そっと視線をアレンに戻す。

 相変わらずぼんやりと何処かを見つめている。

 魂だけ抜け落ちた、人形のようだった。

 息はしている筈なのに、生気が感じられない。

 レオンを亡くし、アレンも心を壊されてしまった。

 パーティにとって、壊滅的なダメージだ。

 ジークは悔しさから唇を噛む。

「アレン、しっかりしろよ……なあ…………」

 呼びかけても、やはりアレンは返事をしない。

 ただ、ぼんやりと息を虚空を見つめているだけだ。

 シルフは声が震えるのを堪え、ゆっくり、ジークとカノンに言った。

「……お前達、苦しいのは分かる。けれど、今は……レオンを弔ってやろう」

 兄妹はその言葉に顔を上げる。

「死者を弔うのが残された者の役目だろう。アレンの事は心配だが……我らにはやるべき事がある」

「こんな時に何言ってんだよ! それどころじゃねえの分からないのか!!」

 冷静に振る舞うシルフに逆上し、ジークはシルフの胸倉を掴む。

「お兄ちゃん、やめなよ!」

「お前、今の状況が分かってるのか!?」

 カノンが止めに入るが、叶わない。

 ジーク自身も分かっているのだ。

 シルフが言っている事が最もだと。

 ただ、アレンもこんな状態で、レオンも死んでしまって。

 こんな事が起きてしまって、自分の不安や悲しみをぶつけずにはいられなかったのだ。

 そうでもしないと、狂ってしまいそうで。

 胸倉を掴まれても、シルフは毅然とした表情でジークを見つめていた。

 睨む訳ではなく、ただただ真っ直ぐに。

 ジークのその瞳は様々な負の感情で濁り、淀んでいた。

 シルフはジークの肩にそっと手を置く。

 そして、優しくも力強い声で告げた。

「焦る気持ちも、不安な気持ちも分かる。我だって不安だ。だがな、ただ焦っていたって解決しない。我らにはやらねばならない事がある筈だ」

「っ……!」

 シルフの言葉に、ジークはそっと手を離し、泣き崩れてしまった。

「どうして、こんな事になるんだよ……」

 カノンは涙を流す兄の肩をそっと抱き、一緒に涙を流した。

 そんな兄妹に、シルフは背を向ける。

 酒場の主人に葬儀の準備を頼むと、レオンをそっと振り返る。

 壮絶な最期だったにも関わらず、その表情は穏やかなものだった。

 それを見れば見る程、シルフの表情は対照的に苦しいものになっていった。

 息を止め、そっと外へ抜け出す。

 そして、誰にも見られない場所で1人涙を流した。

 今だけで良いから、泣かせてくれないか……?

 誰にでもなく、自分に赦しを請いながら。

 ……ただ、ただ1人、アレンだけが涙を流せなかった。

 

 次の日、夜が明けてからレオンの葬儀が執り行われた。

 教会も火災で外壁が焦げたが、中は無事で儀式も問題無く行えた。

 この村にレオンの知り合いや親戚は居ない。

 けれど、この村の為に勇敢に戦った勇者を称え弔いたいと沢山の村人が教会に訪れた。

 人々の涙が流れ、祈りが捧げられる。

 一行も勿論葬儀に出席し、祈りを捧げたが、アレンだけは祈る事も泣く事も出来なかった……

 

 レオンの亡骸は、ここから北に進み、王都を越えた先にある恋人の墓の隣に葬られるそうだ。

 明日には馬車で出発する。

 丁度進行方向が同じな為、一行も共に馬車で往く事になった。

 ジークもカノンも支度を始めるが、アレンだけはぼんやりしている。

「……アレン、大丈夫か?」

 ジークが声を掛けるが、やはり反応は無い。

「勇者様、どうしちゃったんでしょうか……」

 カノンも心配そうにアレンの顔を覗き込む。

 しかし、瞳が揺れる事も無い。

 目の前で手をひらひら動かしたりもしてみたが、特に何も反応を返さない。

「……レオンさんが言っていた通り、心が壊れちまったのか……?」

「そんな!」

「そうかも知れないな。ショックやストレスに心が耐えきれず、極度の無気力状態にあるのだろう。と言っても、我もここまで酷いのは初めて見たが……」

 シルフが初めて見たくらいだ、相当酷いのだろう。

 今のアレンは、心に傷を負ってバラバラに砕けてしまったような状態なのだ。

「シルフ、治るんだよな……?」

 ジークが恐る恐る尋ねる。

 シルフは何も言えず、目を逸らした。

 その行動に全てを語られたような気がして、ジークも俯く。

 旅を続けるのは、絶望的かも知れない。

 ましてや、魔王を倒すだなんて……

 また、俺は……守れなかった。

 辛気臭い空気に耐えかね、カノンが口を開く。

「でも、王都まで行けば心のお医者さんが居るかも知れませんし! とにかく、先に進まない事には何にもなりませんよ!」

 カノンの言葉でジークとシルフは顔を上げる。

 2人の顔を見て、カノンは笑う。

「大丈夫ですよ、きっと! だって勇者様ですよ? 私達が勇者様を信じなくて、どうするんですか!」

 カノンの力強い声に、ジークもシルフも頷く。

 そうだ、きっと大丈夫。

 アレンは、きっと前みたいに笑ってくれる。

 今はそう信じて、その為にやるべき事を探さなければ。

 3人は強く決心し、王都へ向けて準備を始めた。