チュンチュンと小鳥の声がする。

 

 緊張のせいかやや寝不足気味の少女は、重い瞼を擦り窓を開けた。

 

 朝だ。

 

 それも爽やかで、とても気持ちの良い。

 

「旅立ち日和じゃないか」

 

 少女はそう呟くとベッドから立ち上がった。

 

 新しい服に袖を通す。

 

 男性用のそれは、少女を少年にしか見えなくしてしまう。

 

 鏡に向かい、手櫛で簡単に寝癖の立った金色の髪を整える。

 

 少年のような少女は、鏡に映る自分に語りかける。

 

「大丈夫、大丈夫だよ」

 

 そうだ、朝が来たんだ。

 

 とうとう、この日が来たんだ。

 

 自分が、勇者になる日が。

 

 

 

「おはようございます」

 そう言って少女が部屋から降りてくるとそこにはいつもの風景が広がっていた。

 美味しそうで涎が出てしまいそうな朝食の匂い。

 食卓を囲んで楽しそうに食事をする兄妹に、その食事を作る母親。

 ちょっと厳しそうななおじいちゃんが、静かに本を読んでいる。

 ありふれた、幸せ。

 家族の団欒。

 今日でこことも暫くお別れ。

 そう考えると少女は切なくなってしまった。

 

「おはよう、アレン。よく眠れたか?」

 少女をアレンと呼んだのは朝食をとっていた1人の青年だった。

 アレンより年上のようで背も高く、やや細身ながらしっかり筋肉のついた逞しい身体をしている。

 銀色の長い髪を緩く三つ編みに結っており、頭上にはアンテナのような髪がピンと立っている。

 彼の名はジーク。

 アレンの幼馴染で、最大の親友だ。

 深いグリーンの目は細められ、アレンに微笑みかけている。

「おはよう、ジーク。あんまり眠れなかったかな、緊張しちゃって……」

「そうか……大丈夫か? 体に障りないか?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとう」

 アレンはジークの隣の椅子に腰を掛けた。

 

「アレンさん! いや、今日からは勇者様でしたっけ? おはようございます!」

 椅子に座ったアレンを勇者様と呼んだのは、机を挟んでジークの向かいに座る長く赤い髪の少女。

 しかし毛先は銀色で、赤色は不器用に染めた色らしい。

 ジークと同様、頭上にはアンテナのような髪がピンと立ち、瞳は深いグリーンだ。

「カノン、勇者様なんて、改まらなくても……」

「だって今日から勇者になるんですよ!? そりゃ改まりもしますよ! ね、お兄ちゃん?」

「え、そうか? そんなことないが」

「えー、嘘ー!?」

 ジークをお兄ちゃんと呼んだ少女は、カノン。ジークの妹だ。

 朝から元気よく、笑顔で朝食を頬張っている。

 

「おはよう、アイリスちゃん。あら、少し服、大きかったかしら?」

 アレンの朝食を出しに一人の女性が近づいてくる。

 アレンをアイリスと呼んだその女性は、銀の髪とグリーンの瞳をしており、ジークとカノンの面影がある。

 彼女はコロンと言い、ジークとカノンの母親である。

 アレンとは血は繋がっていないが、実の娘のように可愛がってくれている。

「おはようございます。いえ、多分まだ成長すると思うので大丈夫です」

「あらあら、ここからまだ大きくなるの?」

 確かにアレンは17歳で、この歳の少女にしては背も高く、体付きもしっかりしている。

「ジークも抜かれちゃうかもねえ?」

「大丈夫だって、アレンがデカくなるぶん、俺もデカくなるし」

「あらあら、フフフ……」

 

 そんな微笑ましい会話を交わしていた、そんなとき。

「ゴルァアアアアアア!!! ソイツをその名で呼ぶんじゃあなああああああああいッッ!!!!」

 団欒と言う言葉にはあまりにかけ離れた怒鳴り声が響いた。

「あらあら、お父さん……」

 困ったようにコロンはそちらを向いた。

「ソイツの名はアレンだ!! アイリスなどと言う名前ではない!!」

 70歳くらいの老人男性がこちらに向かって歩きながら言葉を放つ。

 しかしその歳に似合わぬ屈強な身体をしており、歩き方も力強い。

「じいちゃん、そこまで言わなくても……」

「うるさい、お前は黙っとれィ!!」

 ジークの言葉も遮った老人はイーゴ。

 ジークとカノンの祖父、コロンの父親だ。

 イーゴはアレンを指差し声を荒げる。

「アイリスなどという奴はこの家にはおらん! お前はアレン! そうだろう!!」

「……はい、僕はアレン。その通りです」

 アレンは反論することもなく静かに答えた。

 その声は感情を感じられない、人形のような声だった。

「そうだ、お前はアレンだ。今日から勇者となる、アレンなのだ!」

「じいちゃん……」

「お父さん、もう分かったから……」

 親子2人で止めようにもイーゴはなかなか口を止めない。

 すると、呆れたようにカノンは溜息をつきイーゴの服の裾を軽く引っ張った。

「ん、なんじゃ……」

 それに気づきイーゴは孫娘のカノンを見下ろす。

 するとカノンは上目遣いで、

「おじいちゃん、勇者様も分かったって言ってるから、良いでしょ? 一緒に朝ごはん……食べよ?」

と精一杯可愛らしく告げた。

「仕方ないなあ! カノンが言うならじいちゃんもご飯食べるー!」

「わあい! ありがとうおじいちゃん!!」

 先程まで口うるさくしていたイーゴを簡単に止めてしまった。

 誰でも孫は可愛いものだ。

 しかし、ここまでくると、所謂『ジジ馬鹿』の域であろう。

 アレン達はその光景を見て、思わず苦笑を浮かべた。

 けれど、こんなトラブルだってアレンは愛おしく感じていた。

 家族と共に居られる、それが、何にも変え難い程の幸せだと知っていたから。

 その幸せと、暫くお別れ。

 またアレンは、少し切なくなってしまった。

 

 

 食事を終えると、アレンは部屋に戻り旅支度を始めた。

 少女が身につけるには重すぎる鎧。

 40年前、魔王を倒したという自分の祖父が身に付けていたマント。

 傷薬や聖水、地図といったアイテム。

 そして、愛用している剣。

「これで、良いかな」

 支度を終え、顔を上げたアレンの目に飛び込んできたのは古い絵だった。

 幼い頃の自分と、もう亡き両親。

 3人で笑顔で描かれている。

 アレンはそれを暫く見つめ、持ち物の中に入れようとし、そしてやめた。

 机の上にそっと戻し、向き合う。

「パパ、ママ、行ってくるね。……頑張るから、応援していて」

 

 寂しげに写真に話しかけると、写真を残し、荷物を持って部屋を出た。

 

 

 アレンが部屋から出ると先に支度を済ませていたジークとカノンが待っていた。

「ごめん、お待たせ!」

「ん、問題ないさ」

「そうそう、問題ないですよ!」

 アレンが駆け寄ると2人は優しく笑いかけてくれた。

「さあ、お前達! とうとう旅立ちの時じゃァ!!」

 イーゴが3人に向かって力強く叫ぶ。

「必ずや、魔王を討ち倒し世界に平和をもたらすのだアレン!! そして、お前達は付き人として勇者を守り抜くのだ、ジーク、カノン!!」

「はい! 必ず、勇者としての使命、全うしてみせます!」

「ああ、分かってる。絶対、守り抜く……!」

「うん! 私、精一杯頑張るね!」

 力強い返事と共に、3人はそれぞれ決意を固める。

「気を付けるのよ。お母さんは、信じているからね!」

「必ずやり遂げるのだぞ!!」

 見送るコロンとイーゴも、精一杯心配を隠し、笑顔で見送る。

 3人はその笑顔を目に焼き付け、手を振り、生まれ育った村から足を踏み出した。

 

 

 こうして、アレンは勇者として、ジークとカノンはその付き人として旅立った。

 

 この世界の平和を脅かす、魔王を倒すために。

 

 

 

 それぞれの、思いを抱いて。